オーストラリアで働く看護師hanacoさんが、日本で看護ケア中に起こった医療事故とそれに対する看護師の労働環境についてオーストラリアの看護との違いも交えて記事にしてくれています。<hanacoさんの記事>

 

 

hanacoさんに記事転送の許可をもらって、少し私の体験したことと、こういった事故に対する思いを書いてみたいと思います(長文+少々重たい内容となります)。

 

 

日本で起きた医療事故をを要約すると、

不安定型狭心症治療のために入院した後期高齢者が、夜間眠剤を服用し、看護師付き添いでトイレに行く途中転倒し、大腿部頚部を骨折した。2ヶ月以上治療やリハビリを行ったが、回復は難しく歩行困難になり、病院側は損害金として450万円を支払った。

 

こういった訴えや損害金の支払いが、看護師にどういった影響を及ぼすのかというテーマです。

 

 

ネットニュースのコメント欄には、今の看護師の労働環境ではこの手の事故を防ぐのは難しく、こういった訴えは看護師の立場をよりしんどくさせるといった内容がたくさんありました。

 

 

高齢者の転倒をゼロにすることは困難だし、患者の安全を配慮しながら膨大な量の業務をこなす看護師にこれ以上何を求めるのっていう看護師側の気持ちもよく分かります。

 

 

それでも、私はこのお金が支払われてよかったなと思います。

 

 

実は数年前に、オーストラリアで医療事故の当事者になりました。それまでも小さなインシデントを起こしたことはありましたが、患者さんに後遺症が残るような事故はこれまで経験したことがなく、事故後しばらくは、事故のことが頭から離れませんでした。

 

 

その時に言われたことや病院側の対応がとても印象に残っていたのですが、なかなか書き起こすことができなかったので、これを機会に書いてみたいと思います。

 

 

ちなみに医師もその場に居合わせていたので、多くの事情聴取は医師が受けてくれました。かなり突っ込んで聞かれたのは、看護師として「危険が予見できたのか」という点です。

 

 

看護ケアで危険予知が全くできませんでしたっていう事故は少ないんじゃないかなと思います。私も「もしかしたら」、「こうしていれば」、「ああしていれば」が事故後に出てきて、「万が一の可能性を考えて行動を起こしていれば」、「別の看護師がケアをしていたら結果は違ったんじゃないだろうか」と思ったこともありました。

 
 
私が経験した医療事故も患者さんが私たちの予想を超えた動きをしたことに起因するもので、そうなるとは思わなかったけど、可能性はゼロではなかった(予見はできた)というものです。
 
 
日本の医療事故記事の転倒も、予見はあったんだと思います。トイレ歩行の付き添いもしているし、転倒予防のケアも立てられている。さらに、すでに転倒の危険が高い人が睡眠薬を飲んで夜間歩行する場合の危険や後期高齢者の入院が長くなることでの転倒のリスクは看護師なら十分に予見できるものです。
 
 
でも、これまでよっぽど危険なふらつきがなくて、他の看護師が付き添いでトイレに行けていたのなら、私もそうするかもしれない。いつかは起こることが、たまたまその看護師さんの時に起こってしまったかだけかもしれない。
 
 
担当した看護師さんも、その危険が全く頭になったわけではないと思うし、事が起こってしまった今では「車いすで移送してれば」と悔やんでいると思います。転倒は起こってしまうものです。予見はできても完璧に防ぐのは難しい。
 
 
ここからは、私が医療安全委員会の人に言われたことです。
 
これは、システムに大きな穴がないかを探している作業なの。大きな事故だから、練れる対策あるなら練りたい。でも、防げなかった事故でもある。十分検討した結果、誰が悪いとかでもない。
 
 
こういう時は、お金で解決するの。医療者側にもいろいろな言い分があるし、事故が起こってしまった経緯がある。でも、患者さんが後遺症を負ってしまったことや家族がそれに対して傷ついたことは事実で、そこには処理できない感情もある。だから、そこはもう病院が黙ってお金を出したらいい。
 
 
私もこの医療事故を経験するまで、損害賠償金を払う=非を認めるみたいな考え方でした。
 
 
でも、もし病院側が非を全く認めずお金を払わなかったら、私はまだこの事故を引きずっているかもしれません。確かに防ぎようがなかったかもしれない事故だけど、それを病院側に言いくるめられて、障害が残っても何の保障も得られない患者さんの存在を知ってしまったら、私は看護師を続けられなかったかもしれない。
 
 
患者さんに保障がされていなければ、「どうしようもなかったんだよ、防ぎようがなかったんだよ」と私は自分を守るために言い続けなければいけなかった。例え9割は防ぎようのなかったことだったとしても、やっぱり残りの1割は患者さんに謝りたい。それが、お金という形で支払われるということで私は救われました。
 
 
そして、病院がお金を払うということは、組織として責任を認めたということなのです。決して、看護師個人の問題で起きた事故じゃないってことを病院側がサポートしてくれたんだと思います。
 
 
この新聞記事のケースでも、例えどんな経緯であれ狭心症の治療に来て1週間くらいで退院できるはずの人が、骨折で2か月以上も入院して後遺症まで残ってしまったのなら、私はやっぱり病院側からの保障があってよかったなと思います。看護師不足や病院のシステムという大きな組織の犠牲にならず、個人にきちんとお金が支払われたのは、決して悪いことではない。
 
 
その損害賠償金が、社会に看護師に非があるものと捉えられることや看護師自身も罰せられたと感じてしまうことに大きな問題があるように感じます。そこは、きっとマスコミの力も大きいんだと思います。
 
 
「私たちがこんなに頑張って看護してても事故は起こる。後遺症が残ってもお願いだから泣き寝入りして下さい」では、患者さんも看護師も被害者だと思います。「組織としてできるかぎりのことはしていましたが、事故は防げませんでした。後は、お金でお支払いします」は、時に必要なことなんじゃないかな。
 
 
この損害金は患者・家族が受け取るべきお金だと思うし、病院がきちんと誠意を見せたことは職員を守ることにも繋がっているのではないかなと思うのです。
 
 
そして、こういうことが起こった時って普段は予算や人員の関係で変えられないことが大きく変えられたりすることがあります。病院側も同じことを起こすわけにはいかないから。そういった機会を次の患者さんに繋げていくことが、償いにもなるのかなと思います。そうじゃないと、「あ、またこけたのね」で終わってしまう可能性も出てきます。
 
 
この事故当事者の看護師さんが、この賠償責任の意味を正しく理解して、これからも看護師として仕事を続けてくれることを願います。