こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

今年6月に【「」付の原生林ツアー・自然を守るって?】というタイトルで書いた後、続編を書く予定で、書く書くと言いながら、諸事情のため、今頃になってしまいました^^;

 

10月後半にオーストリアから帰国しました。「ガンもどき」とは仲良く共存しています。三大治療をしていないので、食事に気を付けているほかは、健康なときとさほど変わらない生活です。前回、記事の冒頭で書いた低体温の問題は、実はウィーンで買った体温計が不良品で、実際には36度前半(風邪気味のときは35度後半でしたが)あることがわかりました。ガンもどきのその後については、もた別の機会に書きたいと思います。

 

さて、前回記事のウィーン郊外の「」付原生林、ヨハネスコーゲルの手前に隣接して自然動物園があり、イノシシさんが住んでいました。その数500頭との、ガイドさんの説明。で、市の白い車がそのあたりを走っていたのだけど、子供を産むと増えすぎるから車で食べ物を運んでおびき寄せ、殺すのだと。

 

   帰り際に、一匹のイノシシさんが姿を現してくれました。

  「来たね。待ってたよ」、そんな声が聞こえてきました。

 

 自然公園の奥へ入っていくイノシシさん。

 

食べ物を運ぶ、市の車

 

ところが後日、ウィーン在住の森林写真家で、森に詳しいMatthias Schickhoferさんにお会いしてお話を伺ったとき、実は、車で運んでいる食べ物は、イノシシを増やし、殺して売るためだと知ったのです。1年に1500頭くらい殺していると。つまり市はイノシシを「家畜化」していたわけです。正直、その事実を知ったとき、驚きを隠せませんでした。販売主はもちろん市です。

それは法的に認められていることなのですが、公には隠された法。ツアー参加者はツアー料金を払い、事実ではない説明を受けていたわけですね。

 

そして野生動物の家畜化は、この自然動物園に限ったことではなく、一般の森においても同様だったのです。

 

EUでは狩猟法の下、時期と数(゛表向き゛と言われる)を限って野生動物を殺しています。

たとえばオーストリアでは森の管理システムとして地域に森の管理団体(狩猟共同組合)があり、森の所有者はそ組合に入ることが義務付けられています。個人所有の森もその時期が来ると組合から狩猟者がやってきて、ハンティングを行う。自分の森であっても、狩猟を拒否することはできません。ちなみに日本にも狩猟法はありますが、自分の森への狩猟を拒否する権利はあります。動物は隣接している森と行き来しているでしょうし、ハンターが入り込まない保証はないでしょうけれど。

また、広い森の所有者は狩猟を自分で管理することが認められていますが、管理団体からチェックが入り、「殺す数が少ないからもっと殺すように」とか言われるらしい。

 

で、さまざまな野生動物が狩猟の対象になっているわけですが、ヨーロッパあたりでその象徴とも言えるのは鹿。観光で訪れた国のレストランやお城の壁に、たくさんの鹿の角が誇らしげに飾られているのを目にした方、多いと思います。ご存じのように、ヨーロッパでは昔から、狩猟は王侯貴族の娯楽でした。゜遊び゛です。

オーストリアでは現在、貴族制は廃止されていますが、実質的には存在し、貴族は教会と並んでこの国の森の多くを所有しています。さらに貴族は周辺の国でも多くの森を所有しているようです。逆もまたしかり。そして、今でもやはり目的は゛遊び゛と聞きます。殺した鹿は、高値でレストランに売られるようです。

 

話が少しそれましたけど、森でもまた、狩猟共同組合によって鹿の食べ物が運ばれており、それも森の食糧が少なくなる冬だけではなく、一年中だという。目的はやはり鹿を増やすためで、これも公には鹿が増えすぎて困るから殺すという理由になっている。(日本でも遊び、スポーツとして行われている狩猟が少なくないと聞きます。家畜化についてはどうなんでしょう。)

 

森に住む動物イコール野生と思い込んでいた無知な私が知った、仰天の事実でした。

 

人間はいったい自然に対して何をしてきたのか、そしてこれからどうするのか。いったん弄ばれた自然が尊厳を取り戻すのは、物理的に容易なことではない。

昨年11月、聖ベルナデッタに導かれて訪れた「ルルドの泉」で受けた、聖母マリアからのメッセージ、「自然と人間の調和」。ハートに素直になれば、調和とは相手を尊重すること、支配しないこと、信頼すること、そして、それに対して恐れをもたないことだと感じるのではないでしょうか。時間はかかるかもしれない。.....でもそれは不可能ではないと、いま狩猟が趣味であった、元イギリス貴族の娘(私)のエネルギーが言ってます^-^

 

また近々、関連記事を書く予定です。今度はほんとに近々^^;

あくまでもオーストリアで私が見聞きした、ポイント的な話ではありますが、なにかの参考にしていただけると嬉しいです。

 

   

 

上の写真は、ポーランドの原生林です。狩猟もしていません。空気があまりにも綺麗で神聖で、驚きました。写真でも感じられると思いますが、どうでしょう^-^

 

 

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「ガンもどき」の訪れ

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こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

朝起きたときの体温が33.7度。先ほど夜8時ごろに計ったら36.3度。

体温って1日の間にこんなに動くものなの?初めて知りました。

 

昨年に続き2回目のウィーン長期滞在(半年)も、残すところ2週間を切りました。比較的元気に過ごしているのですが、体の中ではいろいろ起きているようです。

いうのも先月20日、こちらの病院で「ガンもどき」宣告を受けたのです。「胃ガン」とのこと。

 

先月の初め頃、1週間、フランスを訪れていたのだけど、以前から不調だった胃の具合いが旅の前から酷くなってきて、それでも旅をやめられなくて敢行💦

吐き気と嘔吐、激しい胃の痛みが1日中襲ってくる道中でしたが、私の守護天使、大天使ミカエルのモンサンミッシェル、パンポンの森、ブリセリアンドの森、そして先史時代の遺跡群が立ち並ぶカルナックと、素晴らしい旅を体験してきました。あの体調で全行程を終えることができたのが、なにか不思議な気もします。人間って可能性の塊だなあとつくづく 苦笑。

 

でもフランスの旅最後の日は、どんな食べ物も体が受け付けなくなり、ウィーン空港から市内の救急病院に直行。検査を受けたものの原因が特定されず、別の日に胃カメラを飲みました。特大の胃潰瘍がみつかり、細胞が検査に。結果「悪性」との報告で、「胃がん」だと。それだけではよくわからないし、よくわからない場合はガンに入れられるという情報もあるので、そのときから私の状態は「ガンもどき」に。

 

病院に駆け込むⅠ時間くらい前から痛みは下火になり、少しあった下血を止める薬のおかげか、動くのには支障のない体調が続いています。先月の最後の週には、以前から気になっていたスウェーデンの森の、世界で最高齢のモミの木と言われる9500歳のモミの木さんに会ってきました。この木は200~300年に一度朽ちるのですが根は残って、そこからまた新しい芽が出て成長していくのです。

ドクターには、体が動かなくなって、飛行機に乗れないような自体が起こらないうちに早く日本へ帰ったほうがいいと勧められたのだけど、気持ちが動かず、ワクワクする方角へ飛びました^-^

 

 

「ガンもどき」への対応としては、自然療法を選択。というか、手術、抗がん剤、放射線という、ガンの三大治療は元々選択肢の中にはありませんでした。

日本ではまだ解禁されていない、医療用のCBDオイル(大麻)とご縁があり、摂取しています。オーストリアでは昨年か今年解禁されたそうです。でもまだ一般の薬局では手に入れにくいという情報で、つてで、某、自然療法のセラピストの方から購入しました。


 

今回の「ガンもどき」宣告の流れの中て、体の声を聴きました。それはもう、真っ裸になって、もう限界だーっ、と、もうこれ以上、私を守ることを放棄したような声でした。

それは私を保つために頑張ってきた、私の中の「私」の、叫びのようでした。

最初声を聴いたとき、思い当たるようなことはあるものの、「私」がそこまでして訴える真意がいまいちわからなかった。この記事を書き始めたときも。

 

で、書きながらベッドに横たわって、「私」を感じていたら、ふっと思った。私って、「私」の声が言ってること以外にも、認識していた以上にまだまだいろんな制限の中で生きているんじゃないか、と。

その制限の多くは、これまでの私には必要なものだったかもしれない。制限は私を守ってきた。でもその制限は、今ではもはや言い訳であって、「私」を縛り、自由を阻むものになっている。もっともっと魂の声に素直になって生きていきたい。もっともっと軽くなりたい。~感謝と共に、制限とサヨナラしよう。

 

そんなこと思っていたら、なぜか突然鎖骨の下あたりが痒くなってきて~ 笑

 

 

さて「ガンもどき」はこれから私をどこへ連れていくのでしょう。愛の種、「ガンもどき」は、私をどこへ運ぶのでしょう。「私」に寄り添い、歩んでいくつもりです。

 

 

それにしても日本じゃなく、旅先のオーストリアで宣告されるとは、想像もしてなかったことです^^;

 

次回は「原生林」の続きを書かねば 笑。

 

 

 

 

 

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ずいぶんご無沙汰してしまいました。前回の記事の続きを書くつもりだったのですが、旅が多いのと、もう少し調べたいことがあって、のびのびになっています。FBのほうはよくアップしているのですが、ブログはより突っ込んだ感じに書く傾向があるのでついつい^^;

 

旅のほうは、今回のオーストリアは、山や森などの自然に加え、戦争の跡に導かれることが多くなっています。ドイツのドレスデンに始まり、オーストリア、ポーランド、ドイツなどの、ナチス・ドイツの強制収容所跡や、ユダヤ人ゲットーの跡を何カ所か訪れました。 

 

前回こちらに来る前は、Lilly(タオライアー)とオーストリアの森を回るつもりだったのが、出発が近づいたとき光の存在から「あなたは土地を癒し歩くでしょう」と言われ、いきなり動くだろう面積が増えたのでした。土地といっても、広大なヨーロッパのどこを歩くのだろう?森以外に行きたいと思っていたのは、ドイツ、ベルリンの東西の壁くらいなのに。

 

 

どこにどんな森があるのかもわからないまま、昨年夏、半年の予定でこちらにやってきたら、訪れるべき場所がいろんな形で目の前に差し出された。それは「土地」も同じでした。


で、今回のオーストリアでは面白いことが起こってきている。訪れた土地の街や建物などが、現在の表面的な姿でなく、潜在的に併せ持つ、隠されたもう1つのエネルギーで迎えられるという現象です。これまでは波動などで感じることはあったのだけど、今回は゛情景゛で現れるのです。

 

例えばドイツのドレスデン。ここは以前からその名前の響きが気になっていて、ただそれだけで行くことを決めた場所でした。第二次大戦によって壊滅的に破壊された街ということは、恥ずかしながら、訪れる少し前までよく知らなかった。連合軍の勝利が確実になっていた時期、無防備都市宣言をしていたにもかかわらず大攻撃を受けた街。街の85%が破壊され、最大で15万人の一般市民が死亡したと言われている。

 

着いた日、駅から宿泊先のホステルに行くためバスに乗ったころから、空気になにか違和感を覚えてきて。バスを下りたときは、黄泉の国のような世界に入っていました。

夕方で、車はまだ走っていたのだけど、どの車もス~ッ、ス~ッと音なく走ってるんです。街全体に生気がなく、ベールを被っているようでもある。まったく次元の違う空間でした。宿泊先のホステルに荷物を置き、徒歩で夕食に出かけたのですが、帰るときまでその世界。そして次の日は、街はふつうの、活気を持った姿で現れたのです。 

 

私が来るまでこの街がどんなだったのかはわかりません。でも街は新しく作り直されても、当時の人々や街そのものの意識が癒されないままそこにあったように感じます。人と同じように、土地も、内側に隠れているネガティブなエネルギーを解放しないと、ほんとうの意味で次には進めないわけですね。

 

 

話はちょっと変わります。昨年、今年と、旅はオーストリア国内以外にフランス、ドイツ、チェコ、ハンガリー、ポーランドと行ってきたけれど、すべて飛行機を使わない、陸移動でした。そのときの状況によって飛行機も使う予定ですが、地面に近い所を、景色を見ながら移動するというのは、「役割」の上からも、大事なことと感じているからです。

 

それで、こちらの鉄道の旅というのは、ご存じの方も多いと思いますが、電車が遅れることも多々ありあります。そのために乗り継ぎがスムーズにいかなくて、途中の駅から別の路線に変更したり、線路工事のため先の駅までバス移動になったりと、決まったルート以外の道を通ることも珍しくありません。最初のころはエーッ!って感じだったのですが、すべてそちらに呼ばれて起こってることなんですよね。

で、Lillyと一緒のときがほとんどなので、基本、揺れの少ない電車移動なんですが(Lillyが入っている大型スーツケースは、揺れの強い、バスの下の荷物置き場に入れないといけないので)、途中のⅠ時間くらいバスになったときなど、いろんな所を走るので、楽しいんです。とくに緑豊かな山越えなんか^-^

 

 

それで、今書いていて思い出したのですが、上に書いた「情景出現現象」、実は昨年起こってるんですね。ウィーンに着いたときです。そう、こちらで拠点を置いている、このウィーンでです。

 

 

 

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3週間ほど前になりますが、ウィーン郊外にあるヨハネスコーゲル(Johannes Kogel)という、「」付きの「原生林」ツアーに行ってきました。国が゛原生林゛と言っている森です。ここは月に1度、ガイド付きで入れるのです。オーストリアには知る限り、あと2カ所の「原生林」があります。どれもカッコ付き。というのも私にとっては、原生林とはそこに生息する一切の生命を人間がコントロールしない場所だからです。狩猟もされない森。オーストリアでは狩猟法の元、個人所有の森であっても狩猟を拒否することはできません。

 

 

そして行ったのですが、そこは「」が二重に付く場所でした。

というのもガイドさん曰く、「ぶなの木が増えて、オークの木の影になるので、オークの成長が遅くなる。だからぶなを切る。自然を守るというのは、何もせずに放っておくことではない。だからここは、原生林に近い自然の森です。経済には使っていない」。

うーん、でもこれは原生林ツアーということじゃなかったでしょうか?

たぶんあとの2つの「原生林」も同じような扱いかもしれません。 、

 

 

 

私たち人間は、遠い将来には、森とどの様な付き合い方をしているのでしょう。自らのエネルギーで心を温めることができるようになり、森の生命たちともっと鮮明にテレパシーで交流することができるようになったとき、人間は森に何を見るようになるのでしょう。

いずれにしてもこの先もまだ、樹木は材木として、木の実などの植物は食料として、人が森に癒しと栄養を求める時代は続くのでしょう。それら森の命は愛を持って、最小限にいただく道に、そろそろ足を向けたいところです。利益追求の利用は、もう行き着くところまで来てしまっています。

 

一方、地球上に多くの原生林を残すこと、原生林に存在してもらうことは、自然の尊厳を守ることであり、自然に対する礼儀であると、私は感じています。 

 

そこでは様々な生命たちが育み合い、体をかし合い、やがて朽ちて土に還ったあとはまた、森の栄養となって生きる。それぞれの居る環境は、彼らの゛人生゛のようなもの。周囲の木の関係でゆっくりとしか成長できない木は、早く成長する木より強く育つかもしれない。人がそこに介入する必要はなく、彼らは彼らでやっていく。死と再生を繰り返しながら、果てない知恵を繋ぎ、森もまた成長していく。

 

 

 

 

 

                                                              

 

人が今自然に対してやるべきことは、表向き゛原生林゛に生きる1つの種の木の成長を早めるために周りの木を伐採することではなく、自然を傷つけないことに、真摯な心を向けることだと私は想うのです。

 

2年前の12月にタオライアー、Lillyを製作したあとにLillyとヨーロッパの森に繋がったとき、森は酸性雨による痛みを伝えてきました。 酸性雨の原因のほとんどは、人間が作ったものですね。

そして森の痛みは自分たちだけの痛みではなく、他の生命たちにきれいな風、きれいな水を供給できない、゛親゛の痛みでもあります。

 

自然を守るというのは、自然を尊重すること。 自然の、その偉大さを信頼すること。 

 

 

自然を自然に還すことに多くの人間がハートを開いたとき、森のエネルギーはよりパワフルに動き出す。その中でも原生林に還すことを人間が選択した森の、豊かなキラメキはいかほどのものなのでしょう。

 

「原生林に近い自然の森」、ヨハネスコーゲルの深い慈愛を感じながら、アパートメントホテルへの帰路に付きました。

 

次回、②に続きます。

 

 

 

酸性雨関連・参照https://www.sat-co.info/acid-rain-cause

 

 

 

 

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5月5日から3泊4日で、オーストリア最大の巡礼地と言われる、マリアツェルへ行ってきました。普段はウィーンのメイン駅から電車で1回の乗り換えで着くところを、ちょうど線路の工事と重なっていて、1度電車を乗り換えたあと、バスで1時間という道程でした。バスは樹木が生い茂る山をグルグル回りながら終点のマリアツェルに到着。最初からお役目が待っていたようです 笑。

 

マリアツェルは小さな美しい村で、その中央広場にマリアツェル教会がありました。この教会はなんでも、かのバチカンの次に格付けされているとか。私自身は恥ずかしながら、つい最近までマリアツェルのことは知りませんでした。FBのお友達の記事でその存在を知り、訪れることを即決。

昨年半年のオースリアで、聖母マリアはケルト以前から信仰されていた大地母神で、ケルトもまた信仰の対象にしていたことを、実地で教えられていた。

そしてやはり、マリアツェル周辺の山や川の名前はケルト語のものが多く、そこがケルトと深い関わりのあったことを示していました。

 

 

 

訪れたマリアツェルは、村の中心部も森も、春という季節もあったかもしれないが、空気がパワフルで元気だった。ケルト語の「Erlauf」という名が付いた湖など、小さかったけれど水がとても澄んでいて、魚たちが泳いでいるのがよく見えて。これまで出会ったどの湖より美しかった。

 

      マリアツェル教会

 

ただ、パワフルな場所というのは、陰の側面もパワフルな姿をみせることがある。というのも、この村には゛狩猟゛を讃えるコピーが溢れていたのです。

ここがハプスブルク家と繋がりの深い土地であることは知っていましたが、゛貴族の遊びとしての狩猟゛を表す、ショーウィンドーの写真。狩猟関係の道具をいろいろ揃えている、小さな村には大きすぎるような店。

 

 

 

私は今、森の狩猟についてよく想いを巡らすようになっています。

そんなところに、美しいマリアツェルのもう1つの面を見せられた。そしてシンクロはそれだけではなかったのです。

 

湖のほとりに立っていた、伝説の牧師フベルトゥス( Hubertus)の名を使った看板。そこには、フベルトゥスが狩猟をする人を守っているというようなことが書かれていました。

このフベルトゥスについては、こちらに来てからお会いした弁護士、Michaela Lehnerさんから聞いたばかりでした。

Michaela Lehnerさんは、某個人の森所有者か、自分の森の狩猟拒否を認めて欲しいと訴えている裁判を扱っています。オーストリアでは認められず、現在はEUの高等裁判所まで上げようとしています。

 

で、ミヒャエラさんから、キリスト教会が、あるときから、フンベルトゥスの意志を全く逆の形で広め、利用してきたということを聞いていたのです。フンベルトゥスは実は、狩猟をする人を守りたかったのではなく、動物たちを狩猟から守りたいと言ったのだと。それについての訳文「フベルトゥス狩猟のナンセンス」を下に載せておきますので、関心のある方はお読みください。

 

 

今回のマリアツェルは、昨年フランスのルルドで「自然と人間の調和」というメッセージをくれた聖母マリア、そしていつも共にいてくれている聖フランシスコやイエスがみせてくれた風景と現実だと感じます。

 

ベルトゥス狩猟のナンセンス

 

文学や美術において、十字架を運ぶ鹿の伝説は元来聖エウスタキウスに由来するが、15世紀以降聖フベルトゥスに転用されるようになった。

継承される伝説によるとフベルトゥスは655年貴族の息子として生まれ、728年に没している。初めは虚しい享楽的な人生を送り、熱狂的な猟師であった。ある日の狩猟の際、一頭の鹿を狩り立て、殺そうと追跡していたとき、その鹿が突然目の前に現われた。鹿の枝角の間には十字架が輝き、鹿の姿のキリストが彼に話しかけた:「フベルトゥスよ、何故私を追跡するのだね?」フベルトゥスは馬から下り、鹿の前に跪いた。このときから彼は狩猟を止め、以後素朴な生活をするようになった。後に彼はマーストリヒトおよびリエージュの司教にまでなった。

 

伝説によれば、鹿との経験後フベルトゥスは狩猟を止め、厳格なクリスチャンとなった。なぜなら真のキリスト教的精神と狩猟は全く相容れないものである。鹿との出会いは彼に、その動物を殺す―つまりイエスキリストをも殺す―か、殺さないでイエスキリストに奉じるかの選択を迫った。マタイの福音書第25章40節の言葉で言えば:“私の兄弟である最も小さい者のひとりにしたことは、すなわち私にしたことである”

両宗派が神の子としてまで崇めるイエスキリストが、かつて動物を狩り立てていたなどとはどこにも記されてはいない。それは非常に不合理なことであろう。なぜなら、神の十戒5に“汝、殺す無かれ”とある。しかしながら、いかなる狩猟も殺すことと結びついている。それ故“なぜ私を狩り立てるのだ?”という鹿が発した声は“なぜ私を殺すのだ?”と言うことを意味している。

それにもかかわらずフベルトゥスの日、11月3日には教会から祝福されたいわゆるフベルトゥスの狩猟が毎年催されている。聖フベルトゥスの日を動物の守護聖人とする代わりに教会は彼を猟師の聖人と名付けている。しかしながらすべての猟師は聖フベルトゥスを模範とし、狩猟を止めるべきである。

 

フベルトゥス伝説の意味するところは正に、人間は自然および動物と調和した平和のうちに、猟師としてではなく動物の保護者および友達として生きるべき、ということである。マルコの福音書第16章15節で見事に表現している:“全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい”

 

      これは決して狩猟を意味しているのではない。

 

                   聖書の言葉(意訳)

“神は数々の獣類を創造したが、何かが欠けていることを認知し、人間を造った”

 

 

 

 

 

 

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こんにちは。ご訪これまて問をありがとうございます。

 

ウィーンに着いて3日目に、森について調べたいことがあって、市内にある農業大学の図書館に行ってきました。

翌週、祝日にあたっている火曜日を控えた金曜日ということもあって、構内は普段より人が少ないようでした。なにせ普段でも金曜はもう週末気分で早めに終わる会社が少なくないと言われる国。この日はもう半ドンで、祝日前日の月曜も休みになっている所があるらしい。

 

で、同行してもらった通訳のRさんと迷いながら図書館目指して構内を歩いていたら、廊下にこんなものが貼られてました。1つは貴族制がまだあった時代の、貴族の写真を載せた森関係の新聞。もう1つはポスターのようなもの。こちらには「原生林から森の経済へ」という標語が書かれています。どちらもカメラを縦にして撮ってしまい、写真が横向きになってしまいました。お見苦しくてスミマセン^^;

 

 

写真の貴族はかの有名なハプスブルク家の人でした。

ハプスブルク家は戦後、持っていた森を没収されたあと、政治には関わらないことを条件にそれらの森を戻されたと聞いています。ちなみにこの国の森の3分の2以上は個人が所有しており,その大部分は教会及び「貴族」一門の所有となっているようです。昨年この国に来るまでは、「貴族」というのはもう昔の話のように思っていました。でも実際には、称号は無くてもその立場は今も歴然と存在し、富と共にあるんですねえ。

 

ちなみに写真のハプスブルク家の所有率は「貴族」の中では3番目です。しかし名前は違っても親戚筋の「貴族」もたくさん所有しているようなので、その全体像は想像に固くありません。で、陸続きのヨーロッパですから、オーストリアの「貴族」が国外にも森を有していたり、もちろんその逆のケースもあります。

 

そして貴族と森で連想されるのは狩猟。この国では狩猟法の元、狩猟は個人の森でも拒否できない形になっています。※

狩猟はいろんな理由でやられているようですが、「ゲーム」、つまり遊びでややることも認められているのが狩猟法なのですね。日本では「スポーツ」という言葉が使われているのでしょうか。人間の趣味のために動物を殺すのは、遊びもスポーツも変わりはないですね。で、こちらでも狩猟を懸念する人たちの間で一番問題視されているのが、この、「遊び」目的の狩猟のようです。

 

話はちょっと脱線しますが、私自身も過去世で何度かヨーロッパの貴族を体験していて、狩りが趣味であった時代も出てきています。魂がそれを体験したかったのか、そのときの設計図にそれか必要だったのかでしょう。ただしどんな世界にも例外的な人たちはいて、今も昔もすべての貴族が狩りを好んでいるというわけではないでしょう。

 

それにしても農業大学の廊下に、時代錯誤のようにも映る貴族の写真を載せた「森の新聞」が貼られていたのには、この国の実態に無知だった私には、少々驚きでした。

 

 

そしてもう1つ貼られていたポスターの標語、「原生林から森の経済へ」はこの国の、未来に向けてのかけ声のように映ります。

この国では10年ほど前から新しい原生林作りのプロジェクトが始動していて、いくつかの森が人の手を入れない「原生林使用」(狩猟は行う)に指定されています。この標語を目にしたとき、その「原生林プロジェクト」が繋がり、そのプロジェクトの真の目的を見たように感じました。このプロジェクトでは、人の手を加えない森における樹木の生育の様子が詳細に観察され、記録されています。それらは今後、一般の森での植林や、その木を伐採して経済に結び付けることに使われるのかもしれません。そしてそれを主に活用するのは、力のある教会と、元貴族、そして国、ということなのでしょうか。

 

 

たしかに私たちはこれからも樹木を含む森の恵みをいただきながら生活し、そこには経済が発生するのでしょう。その前提には必要なものがあると感じます。

 

縁あったこの国の森の現状やこれらのプロジェクト、そして西洋の狩猟法をモデルに大学に狩猟科を設置しようという日本の動きを耳にする今、私たちは自然と人間の調和について今一度ハートに戻り、発想の転換をすることを求められている。まさにその瀬戸際に立っていると思わずにいられません。そこに意志があれば、上昇した地球自身の波動がコミットしてくれるはず。そしてこの国は新たなモデルになりうるのではないでしょうか。

そしていつのときも、自分自身を大事にし、癒し、浄化していくことを忘れずにいよう。そうであつて初めて、自然との調和というものが、人間に安心と安堵をもたらすものであることもわかってくる。

 

今回のオーストリアは、いろんな角度から自然との調和を考える人たちと、繋がる時間にもなりそうです。学びながら、いえ実際には歩きながら学んでいる私です^-^

 

※ 日本の狩猟法について、今回日本を離れる前に私の居住地・埼玉県に問い合わせたところ、個人所有の森は所有権によって狩猟を拒否できる、とのことでした。

 

 

ウィーン農業大学

 

 

 

お読みいただいてありがとうございます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めぐる愛~地球人として

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おはようございます。ご訪問をありがとうございます。

 

2日前にウィーンに着きました。モスクワでの乗り換えが、ド近眼の私にはかなりハードな道程となるため、前回の帰国時と同様、空港の移動サポートをお願いしての旅でした。成田からオーストリアの空港を出るまで、見えない標識に不安を覚える必要のないストレスフリーの、ありがたい時間でした。

 

そのモスクワまでの便に、キルギスからの女性が乗っていました。 モスクワでのサポーターが同じ人だったのです。
彼女は目が不自由なようで、白ではなかったのですが、杖をついていました。3年前に日本の盲学校に入り、このたび筑波大学を受けて合格。筑波大では鍼灸を学ぶということでした。キルギスでは目の見えない人が鍼灸を学べる学校がないので、日本に行ったのです。いずれ母国で、目の見えない人に鍼灸を教える立場になられるのではないでしょうか。1カ月ほどキルギスで休暇を過ごしてから日本に戻るのだと話してくれました。 
「日本の方にはお世話になっています」とおっしゃっていたけど、日本人は彼女を通じて、鍼灸という愛をキルギスに広めてもらえるわけです。彼女の言う「お世話」が何を指しているのかわからないけれど、そこには「めぐる愛」があるだけだと、別れてから想ったことでした。私たちはもう地球人であり、必要なところに必要な愛が流れていくだけだと。

 

 

 

お読みいたせいてありがとうございます。

 

 

 

 

こんにちは。ご訪問をありがとうございます。

 

 

 

 

一昨年の12月にタオライアーLilli を制作してから1年4カ月が経ちました。長いような短いような。最近は時間の感覚がわからなくなってきています。困ったものです^^;

 

:現在のところ仕事で奏でるということはなく、家で奏でる以外は旅先の森や湖など、その土地でひっそりと(笑)奏でています。昨年滞在したウィーンではストリートミュージシャンの許可を取って街中でもやってみたのですが、人がたくさんいる場所では周囲の音で自分自身がちゃんと音を聞き取れないことがあったり、ライアーの音自体も戸外で大きく響き渡るタイプではないので、早々にやめました 笑。

また私の場合というかLillyの場合は、いわゆる「演奏」としては使っておらず、対象(自然、土地、動物、人、etc.)に繋がって内側から自然に手やイメージが動いて奏でる形の即興で、相手に必要な奏でが済んだら手の動きも止まります。必要な癒し(エネルギー)を流し終えたら手の動きが止まる。奏での時間も短い。そういう面でもストリートミュージシャン向きではないように思います。

ただ、一度、これは室内でしたけど、スピリチュアルな物語の朗読に合わせて奏でたことがあって、これも即興でしたが、楽しかったですよ^-^。

 

 さて今日のタイトルは「人差し指」。タオライアーはどの指を使っても奏でられますが、最初は効き指というか、機軸になる指を中心に使って練習しました。私の場合、それは小指でしたが、そのうちほかの指も織り交ぜて使うようになりました。演奏をする先輩から、小指は「水」の音を、薬指は「土」の音を、中指は「火」の音を出したいときに効果的、と教わったことがきっかけです。使う指によって出る音が違うことを知ったわけです。たしかに違う。面白いですね。

それぞれの指の、弦への当て方を練習し、それに馴染んでいると、降りてくる音色が多様になってくる。1本の指だけで奏でるより幅が生まれる。1本の音だけで必要な奏でが終わることもあると思うので、決まったものなど何もないのでしょうけれど。

 

親指は、ときたま弦を下から上に向かって弾くときに使っています。

 

で、人差し指。実はそのときの先輩の話には(たしか)人差し指が出てこなかったからかもしれないけれど、最近まで私は人差し指も使うという発想がなかった。いえ使うことはあったのですが、それは指2本を同時に使うやり方を取るときだけで、たまに、でした。

ところが先日、奏でている最中、突然人差し指を使うという発想が起こり、人差し指1本で手が動いた。出た音にハッとした。それは月の光と太陽の光が合わさったような、なにか新しい次元の扉がパーンと開いたような音だった。空気が一瞬でより透明に変化した。

 

このあとふと思い立って、ネットで「人差し指」「スピリチュアル」で検索してみると、こんな記事が目に入ってきました。

「ヒーリングをする時、指先は非常に大事な道具になります。エネルギーをそこに直接、注入できるからです。特に人差し指の先端はとても敏感なセンサーにもなっていて、エネルギーを適切に送り込む為に大事にしなければならない部分です。」※

 

そう、まさにセンサーって感じだった。

Lillyは元々ヒーリングに特化して弦が張られているライアー。ヒーリングライアーです。 そのLillyと、2回目のオーストリア行きを控えたこのタイミングで人差し指が出会ったことは、私にとってなにか、この人生体験、いえ地球での体験の最終章に入ったような感覚を覚えさせる。 これですべての指を使うようになったことも含めて...。そしてそれはまた、より地に足を付けた、地道な歩みのスタートであるような。

 

Lillyは制作した私からみても、倍音がとても豊かです。それはヒーリング力に通じるもの。Lillyの可能性を引き出していくのは、奏で手の私の役目ですけれど💦。そのLillyはオーストリアや周辺国の自然の中、とくに湖畔で奏でたあとで音色に変化が起きました。深みが増したのです。 Lillyの材料である桜の木は、水のエネルギーとよく呼応する性質を持つそうです。その表れかもしれません。、私の中にも、シリウスにいたときの、水のエネルギーがあるようです。

 

人差し指さんとのお付き合いは始まったばかり。今後の展開が楽しみです。

 

 Lillyと行くヨーロッパ・ケルト癒しと再生の旅第2期は、もうすぐ始まります^-^。

 

 

 

「光のサロン・スピリチュアルメッセージ」さんの記事より

 

 

お読みいただいてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。ご訪問をありがとうございます。

 

ここ数年、光の存在を以前にもまして身近に感じるようになり、゛偶然゛というものはないことが腑に落ちてきた。それにつれて゛縁゛に対する気づきも多くなってきました。

 

昨年のオーストリア滞在では、最初の3カ月は一般のアパートを借り、契約が切れたあとの3カ月をアパートメントホテルで過ごしました。

そのアパートメントホテルは、以前は近くに日本人学校があって、ウィーンに来たぱかりの日本人家族が利用することもよくあったことから、通訳のRさんが教えてくれた所でした。大型のホテルで、半分が宿泊だけの部屋、半分がキッチン付きの部屋になっています。

ホテルの名前は「カイザー・フランツ・ヨーゼフ」。ご存じ、ハプスブルク家最後の皇帝の名前です。


このアパートメントホテルでの私の部屋は、日本でいうと2階の角部屋。予約する前に見せてくれたのは、4階の、リニューアルしたばかりのような、モダンで綺麗な、でも物干しを置くスペースがない広さなのが気になる部屋でした。(こちらの物干しは吊り下げ式ではなく、床に広げて置く形なので、場所を取るのです。)それが入居日に案内されたのは2階の、古いけれど広い、デスクや本棚なども設置されている部屋。、長期滞在に向いていました。

 

そして、2階のエレベーターホールの壁にはフランツ・ヨーゼフ皇帝の皇妃、エリザペート※が若い頃の大きな肖像画。その隣には息子のルドルフの肖像画が飾られていました。滞在中、私は必然的に毎日この肖像画を目にすることになります。で、自分が過去世でハプスブルク家との繋がりがあったのかと感じてみてもピンと来ない。なのにどうもこのエリザペートの存在が気になっていて...。

帰国前日に、では他の階のエレベーターホールはどうなっているのだろう、やはり絵が飾られているのだろうかと、最上階の6階まで見て回りました。同じようにハプスブルク家の人たちの肖像画は飾られてありました。でもエリザベートのものは2階だけ。また、ほかの方たちの肖像画は近くにあるドアの陰になってみえにくかったりと、エリザベートのようにまっすぐ目に飛び込んでくる位置にはなかった。

 

 

帰国が近づいたある日、せっかくウィーンにいるのだからかの有名なシェーンブルン宮殿を訪るのもいいかもと、Rさんと一緒に行ってきました。15歳でドイツから嫁いできたエリザベートが暮らした宮殿です。ちょうどクリスマスマーケットのシーズンだったので、宮殿の前にはたくさんの露店が出ていました。オーストリア有数の観光名所だけあって、寒い季節なのに世界各地からの観光客もいっぱいで。でもそれより印象深かったのが、宮殿の前を飛び交うたくさんの鳩さんRさんが言うには、ここには何回も来たことがあるけれど、こんなに鳥がいるのは初めてだと。

 

で、宮廷内部の見学を終えて外に出たときのこと、背後から一緒に出たエネルギーがあった。 「私と一緒に誰か出た」とRさんに。Rさんはスピ系の人なので、驚きませんでした。

風のように一緒に宮殿を出た、長い黒髪を感じさせるエネルギー。空に舞い上がっていくエネルギー~。

 

皇妃エリザペートは格式張った宮殿での生活に馴染まず苦しみ、心身のバランスを崩して、宮廷から逃げるように国外を転々と旅して暮らしたと言われる。

60歳のときスイスで何者かに殺され、遺体はウィーンの墓に埋葬されているという。しかしその魂は、「宮殿」という「意識の囲い」の中に閉じ込められたままだったのではないだろうか....。

 

でもなぜ私と一緒に?今回の約束になっていたことはわかったけれど、エリザペートとは個人的な繋がりがあったのだろうか?ときどき思い起こして気になっていたのですが、2日前のこと、ネットの記事でふと目に入ったのが、エリザベートの紋章がイルカだったということ。あっと思った。ハイアーセルフに確認してみると、やはりエリザベートと私はシリウスの仲間ということ。私はいろんなエネルギーを持っているようだけど、シリウスのエネルギーも色濃いみたいです。

そしてそのあと、エリザベートはドイツのバイエルン王ルードヴィヒ二世と親交があり、互いに「自由を求める(皇妃)」、「山上に住む鷹(王)」と呼び合っていたことを知りました。

 

 

ハプスブルク家の皇妃としての体験を終え宮殿から解放されたエリザペートの魂は、これからどのような生を生きていくのでしょう。

再生した彼女の魂は、軽やかで平和な生に向かうのではないだろうか。そのために私との約束はあり、私のオーストリアはそのために計画されているのだから。

次回のオーストリアで、エリザペートは近くにいてくれるような気もします。

そう、彼女はその美貌を私の今世のキーワード、「白百合」にたとえられた女性でもありました。

 

 

ところで滞在していたアパートメントホテルの2階の部屋は、私が帰国したあとリニューアル工事に入り、料金も大幅にアップすることになっていると、帰国後Rさんから連絡がありました。あのときすでにリニューアル済になっていたら、たぶん4階の綺麗な、でも狭い部屋に入り、エリザベートの肖像画を目にすることもなかったでしょう。

 

 

※皇妃エリザベートに関する記述はいろいろあるようですが、この記事がエリザベートの本質に近いように感じます。

 

 

 

 

 

お読みいただいてありがとうございました。

 

 



 

 

 

こんばんは。ご訪問をありがとうございます。

 

今日はちょっと面白い話。

 

小学生のとき、母に初めて世界の名作文学の類を買い与えられました。『風と共に去りぬ』と『嵐が丘』。どちらが先だったか忘れたけれど、どちらも子供なりに面白く、興味深く読みました。

 

で、やはり何事も偶然はないんですね。『嵐が丘』の主人公キャサリンとヒースクリーフの姿、私と母の過去世での関係に重なるものを感じるのです。

というのもあるクレボヤント(透視家)の方によると、私は二つ前の過去世で、イギリスの裕福な家の娘であったという。自然の中にいるのが好きで、いつも一緒に狩りに行っていた、使用人の息子と恋に落ちた。しかし身分の違いからこの関係に反対した親によって、恋人(母親)は屋敷から追放された。

そのあとで私は同じような身分、たぷん貴族の男性と結婚させられるのですが、それは政略結婚のようなものではなく、相手の男性は以前から私のことを好きだった人のようだとクレボヤント氏。

だけど私は恋人と引き離されたことで深く精神を病み、子供を産むも、関心を示すこともなかったと。そしてついには屋敷の一室に閉じ込められ、窓から外を見て暮らす生活になったのだと。

 

ただ、この過去世を教えられた何年かのちに別の方に受けたセッションでは、そのイギリス時代の私が現れて、゛部屋に閉じ込められたのではなく、自分から引きこもったのだ゛と言ったという。

 

ちなみにその恋人のほうは、屋敷を追放されたあと苦労を重ねたのちに優しい女性と出会い、幸せになったと、クレボヤント氏は言う。

 

 

その次の生では、私はアラスカのエスキモーの女性としての生を選んでいる。「身分」というものに翻弄されることから逃れるため、そしてより自然に近い場所に身を置きたかったからのようです。

同じ集落には今世の母も男性としており、古い体制を改革していく若きリーター的な存在だったという。

この生での私は結婚せず、独身を通している。

このアラスカ時代のことは、私もその時代の3歳くらいの幼児の記憶として、ビジョンを見ています。

 

尚、私が今世日本を選んだのは、より自由になるためだと。

 

 

母から過去世の記憶があると聞いたことはないけれど、あの本は母の魂の記憶が選ばせたものなのではと、今日ふと思ったのです。そしてそれは、私が18歳のときに光になった母から、懐かしい愛の時代のメッセージなのではないかと。母は、私が若いころ、母がもし男性だったら母のような人がいいなと感じていたような女性でした。憧れてたんですね。お父ちゃん、ゴメン!^^;

 

ちなみに『風と共に去りぬ』のほうは、母はどこかで母自身と重ねていたのではないかと感じます。母は父とは3度目の結婚でした。゛スカーレット・オハラみたいだと人に言われたことがある゛と、話してくれたことがあります。

 

 

 

 

お読みいただいてありがとうございました。