夫、子どもと別居して

2か月が経ちました

 

 

やっと生活も落ち着いて

 

同居人の友人とのペースも

つかめてきた感じ

 

 

 

初めの2週間は

生活するための住居を整えたり

 

 

通勤や異動先の職場に慣れることで

日々が過ぎていきました

 

 

 

そんな慌ただしい日々の間でも

「ふと」ボーッとしたり

リラックスしたりする瞬間があって

 

 

 

その時子どもを思い出すと

涙が自然に溢れてしまう

 

 

子どもと離れるって

こんなにも大変なんだ

 

 

そりゃ離婚裁判で親権争いにも

なるはずだぶー

 

 

 

子どものニュースや

公園の子どもを見るだけで

可愛いピンクハートって目で追っちゃう

 

 

 

そして自分の子どもを思い出す

 

 

 

笑顔しか思い浮かばなくて

 

 

 

 

でもこれって

離れているから

 

 

子どもへの愛おしさ、

愛情をより感じることが

できたんだと思います

 

 

 

そして子どもへの命の信頼を

すごく感じるようになった

 

 

 

彼女がどんな選択をしても

それを信じるしかない

 

 

 

だって私は育児してないし

そばにいない

 

 

 

私が別居を受け入れたように

 

 

彼女の選択を受け入れる

 

 

 

これが究極の

私の娘への愛情

 

 

 

私のできること

 

 

 

そして離れて夫に対して思うこと

 

 

 

よく、私の面倒を見てくれたなって

実感いたしました笑!

 

 

同居人の友人と過ごす日々は

楽しいけれど

 

 

私が主導権を握る日々笑

 

 

 

私が決めて指示をだす

これ、すごく

望んでいたことなのに!

 

 

 

私は2か月過ぎて思いました・・・

 

 

 

なんでもかんでも

指示だすの

しんどい!

 

 

 

うちの夫は

先回りして生活用品のストックを

準備してくれたり

 

 

洗たくして畳んでおいてくれたり

 

 

旅先の道を検索しておいてくれたり

 

 

またDIYも得意で

神棚を大工さながら設置したり

 

 

玄関先で人感センサーのライトを

設置したり

(夜中玄関先ですぐ明るくなる)

 

 

 

かゆいところに

手が届く人

 

 

 

そんなありがたいことを

すごくすごく実感してる

 

 

 

 

対して友人と過ごすと

なぜそんな行動を取るの?!

 

 

こうしたほうが効率的なのに!

 

 

 

とカルチャーショック勃発うずまき

 

 

 

そんでもって受け身だから

指示をだされるのを待つ人

 

 

 

も~イライラが止まらない日々ムキー

 

 

 

 

 

そこではたと気が付きました

 

 

 

夫といるときは

命令しない、優しくて

私の言うことを聞いてくれる人がいい

って思っていた

 

 

 

 

友人と同居すると

先回りして気が利く

 

私の意図を読んで

動いてくれる人がいい

 

 

 

結局、どんな環境下にいても

 

 

自分次第

 

 

 

望んだとおりの環境になっても

自分がどんな状態でいるかで

すべては決まる

 

 

 

 

優しいし、私の望むことを受け入れて

その通り動いてくれる

(とってもありがたいことなのに)

 

 

 

それなのに

不満がたまるのね

 

 

 

 

これではまた家族と戻っても

同じことが繰り返す

 

 

 

自分のことしか考えず

不満ばかりに目がいく

 

 

 

これが深く認識できた

自分でも嫌になるくらいに笑い泣き

 

 

 

まずここが認識できただけ

一歩進めたってところ

 

 

ではどうやってこの認識から

脱却するか

 

 

 

そこを今模索中

 

 

 

頭ではわかっていても

身体と心がなかなかついていかなくて

 

 

 

嫌になるくらい

自分の色んな面と対峙中

 

 

 

逃げたくなるえーん

 

 

 

 

逃げちゃダメって追い込まず

自然に任せて

 

 

自分を観察している日々です

 

 

少しずつ観えてきたかな