特異なマクロ経済学「現代貨幣理論(MMT)」は他の経済学と何が違うのか? | ナショナリズム・ルネサンス

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このブログは、誤解されがちな保守思想/経済思想/軍事思想に光を当て、淡々と解説する物です。
過度な期待はしないでください。
あと、部屋は明るくして、画面から十分離れて見やがってください。

 

 ここ数週間、日本でもMMTが急速に認知されつつあります。
大手メディアでMMTが取り上げられたり、国会で麻生財務大臣や安倍首相に対し、MMTへの見解についての質問・答弁がなされた、ということもありました。

(記事紹介をします。タイトルからして面白い記事。「焦点:財政拡大理論「MMT」、理想の地は日本か」

MMT台頭の時系列的な流れが図でわかりやすく紹介されている記事。「台頭する「現代貨幣理論(MMT)」は「生き残れる」のか?」
風の噂では、L.ランダル・レイのMMT入門本の邦訳版の出版が前倒しされた、とも聞きます。

 

この流れは、アメリカで今もっとも注目を集めている議員、アレクサンドリア・オカシオ=コルテスが彼女の政策「グリーン・ニューディール」を実現するためにMMTを強く支持したためです。

これでアメリカで一気にMMT議論が盛んになり、それが日本にも流入してきた、というわけです。


われわれ日本のアマチュアのMMTer(MMT支持者)も、この流れに機敏に反応しています。
日本語で読めるMMT関連の記事を集めた「MMT日本語リンク集」が立ち上がりました。

MMT日本語リンク集

 

 今回のエントリーでは、今までとは違うMMTの紹介、即ち、MMTの具体的な内容紹介ではなく(そのような記事はいま氾濫状態にあるため)、『「MMTは他の経済学と何が違うのか」についての個人的な見解と提案』をします。

 

私のMMT理解のベースは、オーストラリアのMMTer、ビル・ミッチェルの次の記事に依拠しています。

「MMTが論ずるのは『現実が何か』であって、『現実がどうあるべきか』ではない」

↑の記事を読んでから、このエントリーを読むと解りやすいと思います。

 

 

 MMTはマクロ経済学に分類される学説ですが、同じマクロ経済学の中でも特異な学説となっています。

他のマクロ経済に比べて、MMTの特異性は2つ存在します。

 

 1つ目のMMTの特異性はその名前「現代貨幣」に表れています。
これまでのマクロ経済学は人間の経済活動に照準を当てた分析をしていますが、MMTは「現代貨幣」に照準を当てた分析をします。この「現代貨幣」は、少なくとも古代バビロニア以来4000年間の貨幣です。

(厳密には、貨幣に照準を当てた理論は、「サーキット・セオリー」など他のポスト・ケインジアン派の学説にも存在します。)

これにより、従来のマクロ経済学とは異なる分析が可能になります。具体的には、人間の心理や社会と切り離して時代を一気通貫した、客観的な分析が可能になっています。例としては「Spending First」や「租税貨幣論」などです。これらは時代や社会に依存しない普遍的な理論です。

 

 2つ目のMMTの特異性は、『現実は何か』に特化した学説であることです。

経済学の分類の仕方には色々とありますが、その一つに「事実解明的分析」「規範的分析」という分析の違いによる分類があります。

「事実解明的分析」は現実はどうなっているかを分析します。

一方、「規範的分析」は現実はどうあるべきかを分析します。

ほとんどのマクロ経済学の学説が両者の混合である中、MMTは純粋な「事実解明的分析」にかなり近い学説となっています。このことを言い換えると、MMTそれ自体はいかなる政策提言もしません。(後述しますが、JGPといった例外はあります)

つまり、MMTは均衡財政にしろだとか、財政出動をするべきだとか、市場に任せろといった「すべき論」を言いません。それに対し、MMT以外のほとんどのマクロ経済学の学説は、それら独自のイデオロギーを持っており、「すべき論」を盛んに主張します。ただしMMTを論じる人間もこういった「すべき論」を主張することはあります。なぜなら、人間は誰しも右派なり左派なりのイデオロギーを持っているからです。

 

MMTはあくまで現実の経済を分析し説明する理論です。このことをビル・ミッチェルは前述の記事で「我々は既にMMT的世界に住んでいる」と表現しています。MMT をベースに政策提案をしようとすると、必ずイデオロギーが、「規範的分析」の理論が必要になってきます。「MMTにとってJGPは不可欠だ」というのがMMT第一世代の主張ですが、そこにも「完全雇用を目指す」という左派的なイデオロギーがあります。再度、ビル・ミッチェルの言葉を借りると、「MMTは左派でも右派でもない。MMTの理論的・描写的側面と、その上に付加されているMMT提唱者の価値観を混同してしまうという錯乱的な嘘が存在している。私が左派の立場から解説してしまうせいで、MMTは左派だと思われているかもしれない。しかし、それは間違った推論だ。」

 

 ところで、理系の中でも「事実解明的分析」/「規範的分析」に似た分類があります。

それは、理学(事実解明的分析にあたる)と工学(規範的分析にあたる)です。

一般に理学は基礎研究、工学は応用研究とされていますが、理学は真理の探求を目標とした学問で、工学は人類の幸福を目標とするという見解もあります。後者の定義のほうが、経済学の「事実解明的分析」/「規範的分析」により近いでしょう。

 

理学と工学の中間の学問もあります。応用物理学、応用化学、応用生物学などです。これらは大学によって理学部にあったり工学部にあったりします。これらは工学の基礎となる学問で、理学と工学の架け橋となる学問です。化学分野では応用化学に対して、純然たる理学の化学を純粋化学と呼ぶようです。

 

 そこで、私からの提案があります。

MMT第一世代もイデオロギーという沼からは完全に脱しきれていません。MMT をより強固な理論(より現実を説明できる理論)にするために、あらゆるイデオロギーを排除したMMTと、このMMTを基盤とし、そこにJGPや反緊縮等の政策提言につながるイデオロギーを付加したMMTとに分けてしまいましょう。化学分野に倣い、イデオロギー・レスのMMTを「純粋MMT」、MMT第一世代のJGPや反緊縮、長期停滞からの脱出などのイデオロギーが注入されたMMTを「応用MMT」と呼ぶことにしましょう。

純粋MMTは貨幣の性質と働きに注目した「事実解明的分析」をします。それに対して、応用MMT純粋MMTを基盤として、人間の心理や社会活動をイデオロギーとして取り込んだ「規範的分析」をします。そして応用MMTを工学としての政策(例えばグリーンニューディール)へと応用します。

基盤に特化した理論であるがゆえに応用先が豊富なのがMMTの魅力ではないかと思います。

 

 応用先が豊富ということはMMTの論理で「緊縮政策」といった「悪い」(この価値判断自体がイデオロギーを反映している)政策に利用出来てしまうのではないか、という批判が出てくると思います。これに対してはビル・ミッチェルが前述の記事で答えています。
「MMTが出来るのは、ある人が特定の政策提案を推進するときに、その思想的信念をより明瞭にすることである。」
これを簡単に言うと、MMTは政策の背後にあるイデオロギーを浮かび上がらせて丸裸にできる、ということです。先程の緊縮政策の例だと、「あなたがその政策を推進したいのは、緊縮したいからだ。」とはっきり指摘することが出来ます。あとはそのイデオロギー同士で闘い合えば良いのです。

 

なお、私自身は、私自身のイデオロギーにより、純粋MMT+JGP+藤井聡先生提唱の高圧経済というキメラな政策を支持しています。

 

 

以上で、『「MMTは他の経済学と何が違うのか」についての個人的な見解と提案』を終わります。

 

(了)