【論文要約】『貨幣の名目制:表券主義の貨幣理論』~なぜMMTは「新表券主義」ともよばれるのか? | ナショナリズム・ルネサンス

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 今回は内藤敦之先生の論文『貨幣の名目制:表券主義の貨幣理論』の紹介をします。

 この論文はMMT(現代貨幣論)の論文として面白いのですが、ネット上で公開されるまで2年かかるとのこと。MMTはここ最近、アメリカでの大論争が日本にも波及し、大手メディアに取り上げられたり、日銀総裁への質問や国会での麻生大臣への質問に登場するなど、今が「旬」です。

 公開されるまで2年も待っていられない、やるなら今でしょ、ということでこの論文を要約して紹介していきたいと思います。

 

貨幣の名目性

貨幣とはなにかという問いには、教科書的には3つの機能に説明されています。

すなわち、「交換手段」「価値貯蔵手段」「計算単位」です。

このうちのどれを本質として見做すかは、学派によって異なります。

 

「交換手段」を重視       :新古典派、オーストリー学派

「価値貯蔵手段」を重視:ケインジアン、ポスト・ケインジアン

「計算単位」を重視   :内生的貨幣供給論ないし信用貨幣論、表券主義

 

名目主義(計算貨幣とは)

 計数単位としての貨幣、すなわち計算貨幣は円、ドル、ユーロのように名称が定められています。

また、実態としての貨幣も、貴金属、商品貨幣、紙幣、預金通貨のように様々です。そのような意味で貨幣は名目的な存在であり、計算貨幣を重視する立場を名目主義と呼びます

 ホートリーは貨幣の定義を「負債を支払う手段」としています。表券主義は「税の支払手段」としていますが、租税は国家が指定する一種の負債なので、実質的には両者の定義は同じです。実際の支払手段である実態としての貨幣は、任意に恣意的に決定されます。国家が指定する、あるいは社会に認められる限りは何でも良いのです。

 また、計算貨幣はそもそも負債の表示単位ですが価格の表示単位としても使われます。取引される財/サービスや租税の形で信用/債務が発生し、その大きさを示す単位として計算貨幣が導入されます。
 

名目主義と金属主義

 貨幣本質論において、名目主義と金属主義(あるいは商品貨幣説)は対立する立場になっています。

 金属主義(あるいは商品貨幣説)は交換手段としての貨幣を重視しています。

金属主義は、貨幣と貴金属の実物的な価値との関係を重視する立場で、商品貨幣説の一種です。

商品貨幣説は、貨幣が商品から進化して成立するという主張です。商品が貨幣に進化する際に、受領性の高い貴金属のような実物的な価値があるものが貨幣として選択される、と論じられます。

新古典派の議論においては、いわゆる欲望の二重一致を解決する手段として説明されます。

 これに対して名目主義は、貨幣の価値を、貨幣の実物的な価値とのつながりを否定し名目的なものとして扱うため、金属主義と名目主義は対立することになります。

 

 この対立は(貨幣本質論だけでなく)貨幣理論全体に及んでいます。

 商品貨幣説では、貨幣と商品の類似性が強調されるため、貨幣自体の価値が商品と同じく需要と供給によって決定されるという貨幣数量説と結びつきます。貨幣数量説は信用貨幣論とは相容れない説です。実際に商品貨幣説では(銀行預金のように現在の貨幣の大部分を占める)信用貨幣の説明が困難で、最終的には貨幣を実体経済に影響を及ぼさない中立的なものとしています。

 

信用貨幣論と表券主義の違い

 信用貨幣論と表券主義は、名目主義(計算貨幣を重視)という点で共通していますが、貨幣をどのように捉えるかと言う点で違いが存在します。
 
 表券主義では、計算単位を国家が指定することによって計算貨幣が生み出されます。これは国家が課す「税の支払手段」としての貨幣の指定でもあります。どちらにせよ、国家が指定できるという点で名目的です。この意味で表券主義は国家貨幣説とも呼ばれます。
 このようなl国家貨幣は、国家が財やサービスを購入する(財政政策)ことで供給されます。このとき、財やサービスの売り手が国家貨幣を受け取るのは、それが税の支払い手段にもなるからです。このことが国家貨幣が市場に流通する根拠になります。
 
 他方、信用貨幣論では貨幣を「負債の支払手段」として定義しています。これは貨幣が物々交換から出発するのではなく、二者間の取引で信用/債務の関係から生まれてきたというものです。
ホートリーによれば、財/サービスの取引を行う時、同時に交換するのでなければ信用取引になります。
こういった二者間の取引は無数に行われており、信用/債務の関係も無数に存在します。ここで信用/債務を相殺する、あるいは決済する必要が生じますが、相殺、決済のためには共通の表示単位が必要になります。ここで必要となる負債の表示単位あるいは計算単位が計算貨幣です。
 負債の決済をより円滑に行うには、受領性の高い第三者の負債が必要になります。この第三者は通常は銀行です。銀行による負債の発行は、財/サービスの購入ではなく銀行貸出によって、銀行預金という銀行の負債が発行されます。この銀行預金は借り手が他者と取引を行う際に受領され、貨幣として通用します。こういった銀行預金は預金通貨あるいは信用貨幣と呼ばれることになります。
 
以上のように、計算貨幣(名目主義)は信用貨幣論と表券主義に共通していますが、具体的な貨幣のあり方については異なった議論をしています。
 

新表券主義の展開

 表券主義はクナップやミッチェル・イネス、ケインズによって展開されましたが、第二次大戦後は忘れ去られていました。しかし1990年台後半に、L.ランダル・レイによって「新表券主義」として復活を遂げます。
(筆者注:復活の経緯は前回の記事が参考になります。)
 

新表券主義のマクロ経済理論

 この「新表券主義」では信用貨幣論と表券主義が統合されています。
 信用貨幣は銀行預金ですが、多くの国家で税の支払手段として認められています。つまり信用貨幣も国家貨幣になっています。また、信用貨幣論も表券主義も、貨幣供給が内生的であるという点は同じです。表券主義において貨幣供給が内生的であるというのは、以下の式で表せます。
Sを民間貯蓄、Iを民間投資、Gを政府支出、Iを租税収入、NXを純輸出あるいは貿易収支の黒子とすると
 S-I = (G-T)+NX
と表せます。この数式の意味は、左辺の民間貯蓄超過が右辺の財政赤字+貿易収支黒字と等しいということになります。閉鎖経済では民間貯蓄超過はすなわち、民間部門の純貯蓄=財政赤字となります。民間部門の貯蓄性向が高い場合は、海外への輸出によって帳尻を合わせない限りは、政府部門の赤字が必要になります。
 
 表券主義における中央銀行は信用貨幣論における中央銀行と異なった側面を持ちます。
第一に、表券主義における中央銀行は政府の銀行としての役割を果たします。
第二に、中央銀行は金融政策を短期利子率の制御によって行います。(この点は信用貨幣論でも同じ)
短期利子率の制御には、国債を使った公開準備操作によって調整を行っています。
 財政出動を行うと民間部民において投資や消費が増大し、その代金は銀行に還流して超過準備になります。超過準備を放置するとインターバンク市場で利子率が下がるため、利子率を維持するには国債の売りオペを行い過剰な資金を吸収します。逆に利子率が上昇する場合、国債の買いオペによって貨幣を供給します。超低金利の場合に非常に大規模な買いオペを行うのが量的緩和政策です。
 
 ここで国債についても検討しています。新表券主義においては、国債は上述したように金融政策の手段として重要ですが、国債は論理的には必ずしも必要ではありません。政府は民間と異なり、事前のファイナンスを必要とせず、国債を発行せずに政府支出を行えるからです。そのため国債は政府の資金調達のためではなく、金融市場において別の意義が存在します。
 国債の意義は、まず最も信用性の高い債権だということです。次に、金融政策手段、すなわち公開市場操作の対象として重要です。中央銀行が利子率の水準を決めるための重要な手段になっています。
さらに国債には利子がある信用性の高い債権なので、民間部門が保有するメリットがあります。
また、レイ曰く「閉鎖経済においては、純金融資産の唯一の源泉は政府である」。すなわち、国債は民間部門にとっての外部資産となります。
 

表券主義と信用貨幣論

 信用貨幣論では中央銀行は銀行間の決済を行う機関として存在しています。また、決済の時に銀行の資金が不足する場合には銀行に貸出を行ったり、場合によっては金融システム全体にに波及するのを防ぐために貸出を行う「最後の貸し手」として振る舞うときも存在します。
 信用貨幣は需要に応じて銀行が供給するものとなりますが、これは中央銀行にとっても同じであり、銀行の借り入れ需要に応じて中央銀行が準備を供給します。そのため、中央銀行が直接に準備量、あるいは預金通貨の量を制御することは困難で、通常は短期利子率によって間接的に制御しています。
 
 国家貨幣と信用貨幣は異なる起源を持ちますが、等しい価値を持ちます(計数単位が共通)。
 また、マクロ経済においてはどちらも貨幣の循環として描かれます。
信用貨幣論における循環は、企業が投資のための資金を銀行から借り入れることによって預金が創造され、その預金が支出されることによって始まります。最終的には企業は商品の売上から銀行預金を銀行に返済し、返済された銀行預金が消滅するという循環が生まれます。
 他方、表券主義における循環は「租税が貨幣を駆動する」過程として描かれます。すなわち、国家が財政出動によって財/サービスを購入するところから始まり、最終的には租税を支払うという循環です。
 
 現実にはこの2つの循環は一定の関係で併存しています。その点を明らかにしたのが「貨幣のヒエラルキー」または「負債のピラミッド」です。これは多くの階層が存在しますが、ここでは三階層に単純化します。最下層に銀行以外の主体が発行する負債が存在しまします。二番目の階層は信用貨幣あるいは銀行預金です。最上位の階層は中央銀行が供給する準備、あるいは中央銀行預金です。
 最下層の負債の決済はより信用度の高い第三者の第二階層の銀行預金によって行われ、第二階層の銀行間の決済はより信用度の高い第三者の最上位の階層の中央銀行の負債によって行われます。
 こうしたピラミッドの特徴は、レイ曰く「第一にピラミッドにおいて高い階層で発行された負債は一般により受領性が高いというヒエラルキー的配置が存在する。・・・・・・・第二にそれぞれの階層の負債は一般により高い階層の負債をレバレッジする」。すなわち、低い階層の負債のほうが量的に上の階層よりも多くなります。
 信用貨幣論では論理的には中央銀行は政府の一部である必要はありませんが、貨幣のヒエラルキーにおいては最も信用力のある主体として国家の負債を用いることになり、中央銀行は政府の一部に統合されます。
 
 信用貨幣論では、中央銀行は自身の負債となる準備の供給と、最後の貸し手としての機能があります。表券主義では、政府の銀行との役割を果たしています。この2つは全く矛盾せず、補完的な機能となっているだけでなく、信用力の高い第三者の負債としての国家の負債を提供するという点で、中央銀行は政府の一部になっています。金融政策についても短期利子率の操作という点では共通しています。
 

新表券主義の応用

最後に、新表券主義の応用として、①ユーロ危機②雇用保障政策(JGP/ELR)を取り上げています。
 
①ユーロ危機
 ユーロはユーロ採用国全てにとって外国通貨となり、金融政策がユーロ圏共通となります。そのため、一国の経済状態に合わせた金融政策が行えないだけでなく、財政政策は協定によって緊縮政策を強要され、景気刺激策として使えません。国債が発行可能でも、民間引受になるため、市場の評価で利子率が変化してしまいます。
 すなわち危機を迎えると、緊縮財政により危機からの脱出が容易ではなくなっていまっています
「ユーロ圏諸国は国家主権と民主的権力の非常に重要な手段を放棄してしまった。どの単一の政府も有効な制御を行えないユーロという外国通貨を本質的に採用してしまった。」のです。
 以上が新表券主義(MMT)によるユーロ危機の分析です。
 
②雇用保障政策~JGP/ELR
 雇用保障(Job Guarantee)政策、あるいは最後の雇用主(Employer of Last Resort)政策は、全ての失業者を政府が雇用するという政策です。具体的な方法は様々な方法が考えられますが、一般的に提唱されているのは、失業者を法定最低賃金、あるいはそれに近い水準で希望者全てを政府が雇用するというものです。
 表券主義との関係は、表券主義では財政政策が物価水準に影響を及ぼすため(財政赤字の基準は物価水準の動向)、政府が最低賃金を設定しその賃金で失業書を雇用すると、物価全体に影響を及ぼします。
 主流派経済学のNAIRUアプローチはフィリップス曲線(インフレ率と失業率の間の右下がりの関係)を利用して、物価の安定と失業率を制御するものです。雇用保障政策をNAIRUアプローチと比較すると、どちらも物価の安定を達成できますが、雇用保障政策はほぼ完全雇用を達成することができます
 
 
以上、内藤敦之先生の論文『貨幣の名目制:表券主義の貨幣理論』の紹介でした。
 
(了)