内生的貨幣供給の功罪 | ナショナリズム・ルネサンス

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今回のコラムはMMTを解説する予定でしたが、その前に「内生的貨幣供給論」の解説を行います。

(「内生的貨幣供給論」はMMTの基盤の一つとなっています。)

 

「内生的貨幣論」はMMTだけでなく、ポスト・ケインジアンの中で広く論じられている理論です。

今回は、内藤敦之「内生的貨幣供給理論の再構築―ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ」から、「内生的貨幣論」を紹介します。

(なおこの本は、L..ランダル・レイの議論の紹介が多く、MMT/現代貨幣論という言葉こそ出ていませんが、表券主義という言葉でJGPを含むレイの現代貨幣論の一部を解説しています。)

 

「内生的貨幣供給論」とは何か?

簡単に言えば「需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論」です。

 

現代の内生的貨幣供給論には主に3つの派閥があります。

・ホリゾンタリズム(カルドア、ムーアなど)

・ストラクチュラリズム(レイ、ポーリンなど)

・サーキュレイショニスト(ブールヴァ、ラヴォワ、ロションなど)

ここではこの3つの派閥の説明は、議論が細かくなりすぎるため行いません。

なお、現代的な内生的貨幣供給論は、カルドアに始まる、とされています。

 

「内生的貨幣供給論」と対立する概念に「外生的貨幣供給論」があります。

この両者の違いを見ていきましょう。

 

そもそも貨幣供給が内生的、外生的とはどういった意味なのでしょう?

貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります。

 

「内生的貨幣供給論」vs「外生的貨幣供給論」

内生的貨幣供給、外生的貨幣供給という概念自体は20世紀以前の古典派の時代から存在しています。

銀行学派が内生的貨幣供給を、通貨学派が外生的貨幣供給をそれぞれ主張し、対立していました。


 もう少し詳しく両者の理論を見てみましょう。

 「内生的貨幣供給論」は「銀行の貸出ありき」です。

銀行が民間に貸出を行った結果、預金(マネーストック)が創造されます。そして民間が銀行から借入れた預金を返済すると、預金(マネーストック)は消滅します。

銀行は貸出を行って預金を創造した後、預金額に応じた一定の額を中央銀行の当座預金に預けること(準備預金制度)が義務付けられてます。私の準備預金についてのコラムでも解説した通り、準備預金は貸出の後で銀行が用意すると想定されています。銀行は、保有現金か、インターバンク市場から掻き集めるか、中央銀行に借入れすることで、準備預金を用意します。すなわち、貸出(マネーストック)の増加に応じて、受動的に準備預金(ベースマネー)を用意することになります。このときの準備率やインターバンク市場の金利や借入れの利子率は中央銀行により「外生的」に決定されます。

 なお、「内生的貨幣供給論」は「信用貨幣説」と密接な関係があります。

(「信用貨幣説」については以前のコラムで解説しました。)

信用貨幣論では貨幣供給は内生的となるため、中央銀行は貨幣量を直接操作することは出来ません。

 

 一方、「外生的貨幣供給論」は、「中央銀行の意志ありき」です。

中央銀行が銀行に、買いオペや貸出などで銀行の準備預金を供給すると、銀行はそれに応じて民間への貸出を拡大できます。そして売りオペや貸出の返済などで準備預金を削減すると、銀行は貸出を縮小します。すなわち、中央銀行がベースマネーの量を制御することによって、マネーストックの量をも制御できるという理論です。(もっと簡単に言えばベースマネーの量とマネーストックの量は比例するため、ベースマネーの量を制御することでベースマネーの量を決めることができる。)

 なお、「外生的貨幣供給論」は「商品貨幣説」と密接な関係があります。

(貨幣の供給が商品と同様に、供給者が外生的に制御可能と考えるためです。)

 

なぜ量的緩和(QE)は目標達成できなかったか?

これは内生的貨幣供給論から簡単にわかるでしょう。

内生的貨幣供給論によれば、中央銀行は貨幣(マネーストック)の量を直接制御できないからです。

日本で量的緩和が行われる以前、マネーストックを巡って、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀職員との間で論争が有りました、

翁邦雄らの理論は日銀理論と呼ばれるもので、これは「日銀はマネーストックの量を制御できない」という「内生的貨幣供給論」と同様の理論と言えます。

「内生的貨幣供給論」は、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」という比喩で表現されることもあります。

 

内生的貨幣供給の功罪

 内生的貨幣供給のもとでは、銀行はアニマル・スピリッツを発揮し、企業に融資を行います。

企業側からみると、企業はアニマル・スピリッツを発揮して投資を決意、投資計画を作成した上で、銀行へ借入れを申し込みます。この投資計画では、銀行貸出の利子率を上回る利潤を獲得することが必要になります。

 こうして銀行から貸出を受けて始めて、貨幣が銀行貨幣(銀行預金)として創造されます。

企業は投資計画に従って投資し、生産を拡大していきます。

こうしたアニマル・スピリッツの発揮による預金の創造と投資・生産の拡大は、資本主義が爆発的に発展した理由のひとつとして挙げられています。

これが内生的貨幣供給の「功」の部分になります。

 

 内生的貨幣供給の「罪」の部分は、金融が不安定になることです。

経済が調子の良いとき、銀行はリスクを過小に見積もり貸出することがあります。(マネーストック増加)

ここで何らかのショックが起きたとき、そのリスクは拡大します。

それに反応して投資家らが資産を売却し、資産の価値が暴落していきます。

そうなると、投資家や銀行が債務超過になり、破綻に追い込まれてしまいます。

これがいわゆる金融危機であり、ハイマン・ミンスキーの唱えた「金融不安定仮説」です。

(金融危機を説明するハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」はストラクチュラリズムに大きな影響を与えています。)

 

 こうした金融危機に対して、銀行の預金準備率を100%にすることで銀行の貸出を抑制して金融危機を防ぐ、「ナローバンク構想」が持ち出されています。

しかし、これは先に述べた、企業と銀行のアニマルスピリッツの発揮を抑制するものです。

資本主義の成長も抑制されることになるでしょう。

 

内生的貨幣供給と国債発行

 最後に、「内生的貨幣供給論」と国債発行の関係の解説をしたいと思います。

ここでは、建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」の議論を紹介します。
(なお、ここで議論する国債はすべて自国通貨建ての国債になります。)
 
政府が新規国債を発行して財政支出を行う場合、次のステップを踏むことになります。
 
①銀行が新規国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金が、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
②政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
③企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
④ 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に,代金の取立を日本銀行に依頼する
⑤ この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
 
この後、銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび政府の新規国債を購入することができます。
このループを図にしたものが下図になります。(中野剛志氏が作成した図になります。)
 
一般通念とは逆に、銀行は民間からの預金で国債を購入するわけではありません。銀行は政府の発行した国債を購入することで、預金が生み出されます。「預金を資金源として国債発行する」のではなく「国債発行で預金が生まれる」のです。
 
 それ故、「内生的貨幣供給論」の立場では国債発行量に資金的限界はありません
政府は財源を気にせず国債を発行でき、銀行はいくらでもそれを購入することができるのです。
(実際には国債発行を大量に行うと、需要と供給の関係が崩れインフレ率が向上していきます。)

このことは今の日本のようなデフレ経済にとって大きな利点と言えるでしょう。

 

以上で「内生的貨幣供給論」の解説を終わります。

 

次回はMMTの解説の第一弾として、SFC(ストック・フロー一貫モデル)を解説します。

 

(了)