あけましておめでとうございます。

新年早々アニメのお話でも致しましょう。

 

・・・・・・・何にも書くことがないや。

というのは冗談ですが、新年を迎えたという実感が湧かないのだから仕方がありません。

僕の大好きなサブカル系は今年かなり不穏な雰囲気を見せており、やれ実写化だ、やれアニメ業界の闇だ、と先行き不安です。

 

アニメは市場的にここ十数年で売り手市場が買い手市場に様変わりしたらしく、そもそも娯楽作品なのに売上を計上しなければならないんですからそれはもう大変です。

マンガにしたってラノベにしたって画力や文章力よりストーリーの展開やキャラの個性が先に振るいにかけられる。「ラノベのタイトルが長すぎる」なんて禁書が流行りだした時期にはメジャーな風潮だったというのに、それがまだ極化しているというからおかしな話でありまして。

昨年は特に「Re:ゼロから始まる異世界生活」や「この素晴らしい世界に祝福を!」など異世界物がアニメ化して話題になりましたが、その実中身の評価よりもキャラの可愛さが重要視される始末。

薄い本事情を眺めていてもラノベ枠では某青鬼さんが大活躍で、「あれそんな人気なのか」と呆気にとられていました。結局は浅ましいDT拗らせた男共の陳腐な理想を投影した「尽くしてくれる可愛い女の子」でしょう?

完全に心が折れた主人公が告白を受けて立ち直り、しかしちゃんと断る。あの展開が素晴らしいと言うのに僕の周りで理解してくれる人がいませんよ。

 

とまぁ、某異世界生活アニメに対する周りの評価があまりにもムカツク物だったのでこれを機にぶちまけてしまおう、のコーナーはこれくらいにしておきまして。

 

ブログを書かなくなってどれだけ経ったかは覚えていないけれど、

ブログエディタが様変わりしている事を考えるとずいぶんと昔のようで。

 

拝啓 このブログを訪れた皆様。

皆様はブログでどんな願いを叶えているのでしょうか。

共感を得る為、日記を綴る為、はてはお金儲けの為だったりするのでしょう。

僕がこのブログに託す願いは想いを残す為、自分の言葉を残す為でありました。

誰に向けたものでもなく、ただ自分が積み重なる事実を楽しむものでした。

 

思えばここ半年近くのこと、藻掻き、足掻き、自分が何の為にこうしているのかすらわからなくなる苦しみに追われ、ただただ殻に籠もる時間を過ごしたように思います。

自らの苦しみを吐き出す事は傍目から見て心地の良いことではないですから、

きっと、ブログを書くことを止めていたのは正解だったと思います。

 

これからの僕は、見にくく這いつくばり、藻掻き苦しみながら、自分のすべてをそこに込める。

そんな日々を過ごしていきたいと、思うのです。

この言葉が、この想いが世界でたった1人にも見てもらえないものだったとしても。

きっと、歩くことは止めずに。進むことは止めずに。

言葉通りに行かずとも、嘘を並べても。

この気持ちだけは、捨てずに生きることをここに、ひっそりと誓うのです。

 

2016年12月15日。 蒼空

お久しぶりです 蒼空です。
この文句も毎回やってるような気がしますねー。
最近他でキーボードを叩いてるおかげでこっちまで回ってこないせいかもしれません。


さて、7月になりました。 世間では夏。祭りの季節ですね-。
夏と言えばみなさんは何を思いつきますか?
僕はだるいなーって言うのが頭にこびりついてます。

夏と言えば海! なんて方は多いと思いますが、僕は今年の海に入りたくないので違う話題にしようかなーと思います。
夏と言えば! なんでしょうかね( ´・ω・)
正直な話暑いからなんだ、というのは僕の選択肢にないんですよ。
学校だって夏休みないし? 夏らしさと言えばゲームの夏イベントくらいですよ。
季節関係ない事ばっかりやってますからねー。

・・・・話題ねーぞ?これ
と言うわけで近況報告のつもりが何の具体性もない雑談でした。


それでも僕はブログをつづけるんだー
書いていると時間が過ぎるのを忘れてしまいますね どうもこんばんは。

一応続き物なので前回の記事を先にご覧になることをお勧めしますが、
そんな事どーでもいいよって方に諸注意をば。
1.今回の連投記事はかなり暗い話です。軽い気持ちで読み始めると後悔します
2.限りなく自己満足の為に書いています。 
3.不幸自慢をしたいわけではありませんが、境遇だけを見ると完全に不幸です。
4.こんな魅力もくそもない記事を見に来てくれて本当にありがとう。



学習性無気力。 という言葉を前回の記事で使わせて頂きました。
これが何なのか、少しだけ説明していきます。
wikiを参照しながら自分の言葉でまとめますと、
1.自力で回避不可能なストレスを一定期間受け続ける
2.人間の「防衛適性」及び「学習能力」によりストレス回避能力の欠如を獲得。
3.ストレスを受けなくなった以後も状況打破能力の欠如が見られる

とった段階に分けることができました。例を挙げるとこうなります。
1→監禁など。 親からの虐待や生まれ持った身体的障害や虚弱体質も対象。
2→監禁の場合「逃げたい」という思考の停止。虐待も然り。 いわゆる「なにくそ根性」の欠如。
3→外に出ても逃げようとしない状態。 また、社会適合性の欠如など。


そういえば学習性無気力の極限状態みたいな描写があるマンガありましたね。
「テニスの王子様」の最後?でリョーマと「神の子」との試合。
何をしても正確に打ち返される事で次第に五感が失われる なんていうちょっとやばい話だったんですけど
アレを「考え方」に置き換えてみれば想像しやすいと思います。
テニスは対戦ですから、相手に勝ちたくて試合をしている訳です。
その中で自分が「どうすれば勝てるのか」を考えて努力した結果、試合で勝ってうれしいんですね。
そしてその経験が自信へと繋がり、より強い相手に勝つ為の努力が出来る と言うわけです。
ところが、何をやっても勝てない人間が現れるとします。
しかも「こうすれば勝てるんじゃないか」という物が一切見えて来ません。
どんな戦い方をしても、どんな技を使おうとも無意味。一向に光は見えてこないのです。
そもそも、”こんな奴と戦う理由ってなんなんでしょうか”。

自分を根こそぎ否定される、というのはそういう感覚です。
今まで自分がやってきたことはなんだったのか。 無駄だったのか。
だとしたら”自分が今までしてきた事は無意味だったのか”。

現状に立ち向かう事の無意味さを実感した人間は、現状に対してアプローチをかけなくなる。
それが「学習性無気力」とか、「学習性絶望感」と呼ばれる物の実態です。
まぁ、ある程度人生経験を積んで自分にある程度の自信が生まれていれば、多少耐えます。
でも、たった6年の歳月しか生きている経験を持たない子供が、
たった2ヵ月ベッドで横になって動けずにいるだけで、
絶望を覚えない方が、ある意味異常なのかもしれません。
僕の場合は一時的なモノと違って人格形成の時点でその状態だったので、
えげつない無気力と向き合ってきた事になりますね。


学習性無気力を獲得するとどうなるのか、少し説明しようと思います。

・まず、ありのままを受け入れます。
・無理だな、と思うとそれ以上の努力ができません。
・何とかしたい。けどなんとかしようとはしません。
簡単に言えばこの三つです。

ありのまま、というのは以外と難しいんです。
例えば大好きだったおばあちゃんが亡くなってしまいました。
悲しい事です。
でも、実際悲しい気持ちにはならないし、ましてや生き返ってほしいとも思いません。
「ああ、死んだんだ」 と、事実を只受け入れる。 という事しかできないのです。
次に諦めですね。
テストの点数で勝負します。 点数が思ったより伸びなくてライバルに負けてしまいました。
でも「僕の努力が足りなかったんだな」と結果を受け止めても
「もっと努力しなければ」と思う事はありません。
最後。
どうして学校に行けないのかは必至に考えます。
けれど「どうすれば学校に行ける様になるのか」を考えようという発想が生まれません。


正直な話すべて同じ事を別の側面から見ただけなんですが、伝わったでしょうか。
この話を聞いて「こいつやべぇ奴だ」って思えない人は想像力が足りないでしょう。
それぐらい頑張って説明してきました。

さて、さすがに眠くなってきました現在3時43分。
こちらの記事はだいぶチグハグになってしまったかもしれませんがここで筆を置きたいと思います。
本当はテスト週間で勉強しなくちゃいけないんですけど
”今更勉強して何になるというのか”。 
ほんと、効率の悪い考え方してますでしょ?


深夜遅くにこんばんは。蒼空です。
みなさんは無気力という状態になった事はありますか?
今回の記事は無気力についてです。
読んでて面白い話じゃないから、興味無い人はブラウザバックを強く推奨しますよ。


さて、無気力と聞いてみなさんはどんな状態を想像するでしょうか。
( ´-ω-)<アーダリィー
とか
( っ´ω`)っ<ネミー
とか、こんな感じをイメージする方が多いと思います



実は無気力というのは、これとは全く違います。
上記の感覚は「怠さ」と言って、カンタンに言えば「めんどくさい」と思っている状態ですね。
何かに対して抵抗している状態なんです。○○したくない という感情です。
ですが無気力というのは、
( ゜ㅅ゜)・・・・・・・
こんな感じです。   って言っても顔文字で表現するのは難しいです
これまた簡単に言えば 「思考ができない」状態です。
究極生命体となったとある男が「そして、考えるのをやめた」 となったあの状態のことです。
実例を踏まえて、紹介します。

身近な例を挙げましょう。「社畜」と呼ばれる方々の存在です。
某ブラック企業の社長だった方がこのような言葉を残しています。
「できない、というのは嘘なんです。出来るようになるまで続ければ必ず何かを成し遂げることができます」
超一流アスリートの言葉ならどれほどありがたかったことでしょうか。
問題になるのはこの考え方ではなく、この考え方を”押しつけた”事なのです。
何かを成し遂げるまで努力する。 確かに聞こえだけは良さそうです。
ですがこういう言葉を加えてみましょう。
何かを成し遂げるまで”どうして続けなければならないのか考えることなく”努力する。
何とも怖いですね。
彼の社長さんは自分の中に思い描いた何かがあった。だから成し遂げるまで無茶な努力でも続ける事ができたました。
しかし、彼の部下や社員達はどうでしょう。
彼ほどに理想を持ち得たでしょうか。 いいえ、そんな事はありませんでした。
そして社長の思想は社員達を苦しめました。
出来る人間に出来ない人間の苦悩は理解出来ませんので、ある意味仕方がないことでした。
結果として、社員は「どうしてやり続けなければならないのか」という思考を奪われ、
ただ社長の言うとおりに努力する事となり、死人がでてしまったのです。
”死ぬまで努力し続ける”という異常さは傍目から見ても際立っているはずです。
これが、無気力の極地です。

誤解してほしくないので補足しておきますが、「現状を打破しようとする意志」が無い状態を無気力と呼び、
何かしたくない、とか、なんでこんな事してるのかわからない、と言った状態とは全く異なりますので
そこのあたり、絶対に間違えないようにして頂きたい。
言うなれば戦後復興期のあの力強さの対極の位置に存在する状態が無気力なのです。
別に楽したいとか、かったるいとかそう言うのとは違うのです。大事なことなので何度でも言います。


そして2ヶ月前、になります。 少女監禁事件を覚えている方はどれほどおりますでしょうか。
あらましはさておき、
少女は外出先から逃亡し救助された形になりましたが、その時の少女の話を引用します。
「以前何度か外に連れ出されたが、その時逃げようとは考えられなかった」(警察発表より意訳)
”考えられなかった” という言い方に注目してください。
家の一室に監禁されているならばいざ知らず、外に出てしまえばいくらでも逃げようがあります。
現に少女は外出時に犯人の隙を突いて魔の手から逃れていますから、真実です。
しかし、彼女が逃げようとしたのは一回だけ。 
それまでに何度も外出しているとのことですから、普通おかしい事に気がつくと思います。
彼女は逃げようとしなかったのではなく、逃げるという思考がなかったのです。
正確には「奪われた」状態だったわけですが、それこそが「無気力」の正体です。
ちなみに、彼女の場合「学習性無気力」や「学習性絶望感」と言った表現が為されています。


みなさんは、努力が叶わなかった時どうしますか。 
悔しくて涙をこぼす人もいるでしょう。 気持ちを切り替えて前に進もうとする人も沢山います。
しかし無気力の人間の答えはどちらでもありません。
ただ、ありのままを受け入れるのです。
これがどんなに恐ろしいことかは、実際に無気力系の症候群に陥った方しか理解出来ません。
「わかるわかる」なんて気軽に相づち打たれるような事でもあれば、
殴られたって文句を言ってはいけません。

何が言いたいのかそろそろわかってしまう人がいると思いますので、ここではっきり言いますね。
僕は、学習性無気力の状態にあります。
正確には脱しつつあるのですが、ことある度に無力感に苛まれてしんどい思いをしている最中です。
今回の記事は自分の状態を確認したくて書いているようなものですから、
誰が見ても面白いものではありません。
そもそもブログを続けていられている時点でかなり状態はよくなっているのでいいんですが、
この言いようのない感覚を吐き出す為の自己満記事ですので、
やっぱり見苦しい記事になっているはずです。


さすがに長すぎますね。次に続きます。