たまたまYouTubeで、中森明菜が村下孝蔵の「踊り子」をカバーしている動画を見ました。
20年くらい前のものでしょうか。様々なカバーを歌ってアルバム出してるくらいだから、その中の一曲かな、と
村下孝蔵、ラブソングの名曲に「初恋」がありますよね。
あと「ゆうこ」とか、この「踊り子」も。
この人は声がピカイチ素敵です。澄んでいてかつ深みのある声。楽曲はシティポップでもなく、歌謡曲ともちょっと違う、どちらかといえばフォークっぽい独特の抒情性が感じられる美しい調べ。
私の中では、曲がヒットしてご本人の姿を初めて拝見したとき
"男性版小坂明子"
そんな感じの驚きが…
この人がこんな歌を?というのが正直なところでした。
1999年に46歳の若さでお亡くなりになったんですよね。当時ニュースで知りました。
そのときは
お若いのに…
そんな残念な気持ちしかありませんでした。
そして
この中森明菜の歌唱動画を観たのは数日前です。
ご本家より強すぎる陰影に、なぜと思うくらいとてつもなく気持ちが揺さぶられました。
さらに
コメント欄見て、
えっ、えっ、そうなの?
となったのです。
知りませんでした。
村下孝蔵と中森明菜の縁
ここからは呼び方変えて、
村下孝蔵さんがまだ日の目を見なかった頃に、明菜ちゃんのデビュー曲を作曲したそうです。コンペみたいなもんですか。それは採用されずに、明菜ちゃんは来生えつこ/来生たかおの楽曲「スローモーション」でデビューしました。
この曲と「セカンドラブ」は初期の好きな作品ですが、ボツになった村下孝蔵作品はどんなのか聞いてみたいですね。
「少女A」辺りから頭角を表してアイドルの中でも群を抜き、そこから更にトップアーティストへの階段を駆け上っていくのは誰もが知るところですが、でもその先にあんなことが待っていようとは誰も想像しなかった。
そんな明菜ちゃんの姿は、村下孝蔵さんにとって赤の他人としては映らなかったのでしょう。
採用されなかったとはいえ、出来上がるまできっと見ず知らずの彼女へ気持ちをさまざまに、また一途に募らせる時間を持ったと思います。繋がらなかった縁を胸にしまい、一人のファンとしても応援する気持ちがあっても不思議じゃないです。
あの明菜ちゃんに提供する曲を作ったことが、もちろん自分の音楽活動の励みにもなったでしょう…
その村下孝蔵さんが再びというか、今度は明菜ちゃんその人を歌った曲を作っていたとは…
動画のコメント欄から知りました。
多分ファンの方なら何を今更なのでしょうが、
『アキナ』
聴いていてもろ明菜ちゃんですよ。そしてじわっとくる。泣けるのです。
ご本人もそう思ってもらっていい、というようなコメントを控え目ながらされたようです。
あくまでもネット情報ですが、それはとても信ぴょう性があると思えました。
この曲が発表されたのは、1989年にあの騒動があった2年後です
この人のラブソングは、どれもとても個人的な濃さを感じるのですが、それを昇華した作品として聞き入ってしまうのは、ひとえに印象的な旋律をなぞる声に乗った純粋さが心地好いからかもしれません。言葉も美しいです。
何より、こういう歌を作ったことを、明菜ちゃんに伝えようとしなかったという謙虚さというか、ベタすぎる純情というか、なんともいえない気持ちになります。
村下孝蔵さんが亡くなってから、明菜ちゃんはこの曲の存在を知ったそうです。
年月も経ち、ずいぶんと気持ちとも折り合いがついていたとしても、それでも心の傷跡が疼いたりしたに違いないと思うのです。時を超えた村下孝蔵さんからの応援歌を受け取って、明菜ちゃんはどんな気持ちになったでしょう…
号泣した、と動画のコメントにはありましたが…
救われたんじゃないでしょうか。
孤独で、人を信じることにも臆病になっていたであろうあの当時、自分と同じ高さに立ち、力強い、それでいて包むような歌声で頭を撫でてくれようとする人がいたと知ったら…
たまらないです。
もっと早く知っていたら、村下孝蔵さんの存命中に知ることができていたら…
きっとそんな思いが込み上げてきたのではないでしょうか
村下孝蔵さん、本物のロマンチストだったんですね
「踊り子」はそんな村下孝蔵さんの想いを受けてのカバー歌唱だったようです。この曲を選んだのは、クラシックバレエをやっていた明菜ちゃん自身と重なったところもあったのでしょうか
人と人との交わりは、直接ではなくても、時や場所を隔てても、こんなにも温かさや豊かさを確かに伝えたり、受け取ることができるんだなと、しみじみと泣けました。
最初にちっちゃく、「あきなちゃんの…」とはにかみながら言ってるのが聞こえます。
ありがとうございました😊