『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』から『INNOCENCE 』へ | sorariri89のブログ

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「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」の
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ゴースト・イン・ザ・シェル」の記事を上げたときに、「イノセンス」も観たことをさらっと書いたけど、時間が経つにつれ、こちらの深みにどっぷりとハマり、その世界観に酔いしれているというあり様。

 

U-NEXTレンタルで観たから、視聴期間は3日ほど。「ゴースト」は見放題だったために、何度か視聴済みの段階でとりあえず「イノセンス」も一度観て、「ゴースト」についての記事を書いていた。

 

ゆえに、あくまでも「ゴースト」がメインで「イノセンス」は付属的な扱い。後でこんなに語ることになろうとは思いもよらずで…

 

ストーリーは攻殻機動隊の隊長、少佐こと草薙素子の失踪後、人形(ロボット)が暴走して所有者を殺害した事件を公安9課のバトーとトグサが捜査して黒い真相に迫っていく。

 

その過程で人間と人形の違い人間とは何か生命とは、これは前作から引き継いでいるテーマだけど、それが人形や素子という存在を通してより痛烈に突きつけられるのが今作。そしてバトーと素子の深遠なロマンスも…


そこからタイトルのイノセンス(無垢)はつけられたのかも、と思ったりした。


もちろん人間の限りない欲望もイノセントでありながら底なしの恐ろしさも孕んでいるという、そちらがメインだろうけど

 

一回観たくらいで咀嚼できないのは分かっていたから、とりあえずは雰囲気を味わった。メカニックもかなり進化している。

 

それから限られた時間で2度、3度と観てみると…

 

オープニングからやはりブレードランナー感満載でイヤでも期待が高まる導入。最近のアニメ作品に共通して言えるけど、この作品でも濡れたような光の描写にはため息しか出ない。ハチのようなヘリコプターが猥雑な人間界の上空を縫うように飛ぶ光景が俯瞰で捉えられ、どんな物語が始まるのか、ワクワクする。


人形と細胞分裂が水中をたゆたうように広がり、展開され、タイトルクレジットにつながる。BGMは前作と同じ、謡。

 

映像の精緻さ、鮮明さは初見でも感じたけど、含蓄のあるセリフのオンパレードは、改めて驚愕レベルだった。

 

回を重ねるごとに気づきが増す。

 

多分引用だろうと察しはついたものの、セリフありきでストーリー練っていったのではないかとさえ思えた。

 

後で確認したところ、脚本も監督の押井守で、

できることならセリフ全部引用でやりたかった、なんてインタビューで答えていたことを知る。

 

すべて引用って、そんなの不可能だろう。

 

でもそれを目指したかったことには十分共感できるほど、聞き捨てならないセリフばかり

 

聖書からのものもあった。

 

聖書は大方の日本人には馴染みがなくてピンときにくい上に、信仰心の薄い日本人が使えば、下手するとそこだけ浮いたりするし、イヤミにもなりかねない。

 

でもこの作品では古今東西の引用がいぶし銀のように重い光を放っているから、そのひとつとしてある種の心地よさもあった。

 

オリジナルのセリフでも、吸い込まれそうなものがあったり、足下揺さぶられるようなのがあったり…

 

ここにすべて列記したい衝動に駆られるも、止めとく。

 

1度目は聞き流してしまっていたセリフ。


柿も青いうちはカラスもつつき申さず候


自分のヤマを横取りされそうな不満を、知性からは程遠そうなデカが吐き捨てるように呟いた。

 

これが想定外のサプライズだったもんだから

そこから、私は、「えっ、??」となっていった。

 

 

前作よりバーチャル感が強いのに、より観念的で、自分の精神状態によっては観るのが辛かったり、拒絶したくなったりするかもしれない。

 

でも、逆にこの世界とシンクロできたら、一種のトランス状態にハマれるだろう

 

 

食料品店でバトーがゴーストハックされて銃を乱射してからの、北端へ飛ぶ辺りから、どんどん目が離せなくなっていった。

 

オープニングとはまた違うエトロフ経済特区の成れの果てとなった屹立する建造物群は圧巻だ。

 

天空から見下ろすバトーはそれらを"卒塔婆"と称した。

 

バトーたちが乗った原罪の鳥ともいえるような飛行物体が白い海鳥の群れをつき破っていく。それはまるで宗教画のようだった。どこまでも荘厳で美しい

 

 

この作品では鳥が一つのメタファーになっているようだ。

 

恐らく地上に留められる動物とは異なり、その翼で己を解放できる、人間や人形の対極の存在なのかもしれない。

 

一度鳥の目がクローズアップされる場面があった。それは素子の眼だったのだろうか。素子は既に自由という存在になっているということか。ふと沸いたその疑問は終盤の素子のセリフに答えがあった。

 

卒塔婆の間を縫いながらバトーは言う。

 

「生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら、社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし、都市は巨大な外部記憶装置ってわけだ。」

 

確かに…

 

それを受けたトグサの口から引用が次々に引き出される。ここで聖書が出てくるのだけど、

 

もう知のバトルにくらくらする。

 

エトロフの地上に降り立つと、そこで繰り広げられているのはどことも言えぬアジアの祭り。まあ中国を連想させられるけど、どこまでもイリュージョンの、うっとりするような無国籍感


火にくべられる人形たちの眼が開いたままなのが痛ましくもある。

 

どんどん自分の中の何かが掻き立てられていく

 

そしてキムの館での擬似体験迷宮で、その度に変容するキムの骸や、お茶子のからくり人形が出てくると、ループに絡め取られそうな気持ち悪さギリギリ、思考が弄ばれ、船酔いと同質の浮遊感があったけど、素子のヒントに助けられて、耳抜きがぷっとできて地に戻ったような感じがした。

 

1度目のループでは

玄関ホールの置物のような少女が、床にカード文字でaemaethと示している。

ヘブライ語"真理"という意味。

天井から下がっているのは煌びやかな鳥

 

次のループではmaeth 

これは"死"を意味する。

鳥の首はもげていた

 

 

最終的には

前作のラストで、今度会ったときの合い言葉にしようと素子が言った数字2501がカードで示されていて、バトーは迷宮から脱出できた。


天井から下がっているのは一羽の海鳥に変わっていた。

 

“守護天使“の降臨を確信するバトー


私も少佐が帰ってきたことに嬉しくなった。

 

トグサは迷宮に取り込まれそうになって、現実との境界があやふやな恐怖を覚える。

 

イノセントワールドに素子は不在どころか、ずっとバトーに寄り添っていた。その存在感、関係性が尊くもある。


一体の人形の電脳に自分の一部をダウンロードした素子がバトーの前に現れる。そして少佐の俊敏な動きと狙撃の腕、知力で敵を制圧。やっぱりカッコいいわ、少佐。

 

身体を捨て、均一なるマトリクスの裂け目の向こう、広大なネットのどこか、その全ての領域に融合して、行ってしまった素子に、バトーは尋ねる。

 

今の自分が幸せか」を

 

それに対して素子は、それが「懐かしい価値観」だと呟く。「今の自分に葛藤は存在しない」と。それほどに自由な存在へと昇華したというのだ。

 

そして仏陀の言葉を引用する。

 

孤独に歩め 悪を成さず、求めるところは少なく…

 

バトーが続ける「林の中の像のように…

 

バトー、忘れないで。あなたがネットにアクセスするとき、私は必ずあなたのそばにいる。行くわ。

 

バトーは人間としての素子との再会を願っていたはずだが、もう住む世界が決定的に違うことをここで悟ったに違いない。


だから私としては余計に素子に自分のベストを着せるバトーのデリカシーが切なかったけど、

 

この別れのシーンは、素子からのこれ以上ない愛の告白シーンでもあったと感じた。

 

素子のゴースト、魂はバトーに喪失感を与えるだろう、でもやがてはそれを越えた安らぎを与えるのではないだろうか。

 

孤独であることは変わりない。それでもそばにいると感じようとすれば感じられる。


そのことは自分という存在の支えになる


私はそこにとても共鳴できる。


人と人との結びつきで温もりはほしい。でもそれは物理的なものだけにこだわると、みじめさを増幅するだけになるかもしれない。寂しくても惨めにはなりたくない。

 

仏陀の引用は最初の方で課長も口にしている。場面が一気に研ぎ澄まされていくようで、自分の中に一本の杭を打ち込まれたような引き締まる思いになった。

 

この課長、他にも引用からの名言吐きまくり。

 

改めて素子の口からも呟かれると、中世の日本に広まった無常観のような、身体性が曖昧になった人間の精神の拠り所となる思想にも思えた。

 

人形にダビングするためのゴースト要員として密輸入された少女を助け出すため、人形製造会社の検査責任者が誤作動を人形にしこんだのが事件の発端だったことが分かった。

 

助け出されて喜ぶ少女にバトーは辛辣な言葉を投げつける。魂が吹き込まれた人形がどうなるか考えなかったのか、と

 

すると少女は顔を歪めて叫ぶ。

だって、私は人形になりたくなかったんだもの!


自分のことしか考えないのもまたイノセンス。

 

素子は言う。

鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり。人形にも声が有れば…

 

鳥は人間、魚は人形…

 

バトーとてサイボーグ、どっちつかずの自分の在り処に心は揺れ続けているのだろう。


バトーのゴーストは何を囁き続けるのだろう。


哲学的な渋い言葉が自然と口をつくロマンチストなバトー。これほど魅力的なキャラだと前作では全く想像も出来なかった。

 

劇中バトーがイシカワの運転する車に同乗して夜の街を流すシーンのBGMがジャジーで、独り住まいの部屋で犬のガブリエルと同じ姿のオルゴールが奏でるメロディーと共に心安らかで、それに相まってバトーの人間的穏やかさが感じられて私は好きだ。


 

じっくり味わうと、ラストの曲、アランフェスをアレンジした伊藤君子の「フォロー・ミー」が尚更、哀切を増して胸に沁みる。

 

歌詞はバトーの心であり、また素子の心も表している。その思いに至ったときオープニングの文言がとてつもなく有機的に蘇った。


われわれの神々もわれわれの希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか


ーーーリラダン「未来のイヴ」


 


 

私にとっては、これ以上の重厚で優美なSFカルトムービーはないと言っても良いくらいのこの2本のアニメメーション映画、

 

公開時に観ていたとしても、間違いなくハマっただろう。もろ自分好みで琴線に触れまくったに違いない。

 

でも、初見が今というのに巡り合わせも感じる。

 

自分の年齢、公私を取り巻く社会や自然の変化、そして昨年来のコロナ禍、これら環境の中に身を置く今の自分だから、作品から受ける印象、重みには、ならではのものがある。

 

これから多分定期的に観たくなると確信してそばに置いておこうと思った。


ということで、

ゴースト」「イノセンス」ともにBlu-rayを購入した。

 

アニメ作品では初めてのこと


押井守という映像作家が持ち合わせた世界観、それが高次元に表現された世界に私のゴーストは見事に共鳴させられたということ。



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フォロー・ミー」のMVはどれも映像と音楽の融合が甲乙つけがたいクオリティの高さで、自分のためにも貼り付けておくことにした。

 


 

 

人形の悲しみが胸に迫る









 

 

エトロフの場面は一つの伝説になるだろう映像美








 

 

これはバトーの哀切メインのトレーラー

 

Thanks a lot, Kuakua-san.

I appreciate you leading me to these special movies.