本家本元はやっぱり違う! という印象を得た。
昨年、空海生誕1250年を記念した空海展が相次いだ。
一つは空海の故郷香川県立ミュージアムで、もう一つは今年の奈良国立博物館で開催され、数々の国宝をはじめとする空海遺産を見尽くした思いがあった。
その間、高松三越や大阪あべのハルカス、近鉄奈良店の画廊で岡本光平空海展を開催させて頂き、真言密教の奥深さを学ぶことが出来た。
しかし今回、東京国立博物館で開催されている神護寺展で、冒頭のインパクトを喰らった。
「空海の寺、神護寺。1200年の至宝集結」
「京都市の西北、高雄に所在する神護寺は、中国・唐から帰国した空海が活動の拠点とした寺院です。国家の安泰を願う密教修法や金剛界・胎蔵界両部の灌頂が初めて行われるなど、真言密教始まりの地となりました。
本展は2024年が神護寺創建1200年と空海生誕1250年にあたることを記念して開催します。」
と案内されているが、神護寺は高野山や東寺に先立つ空海密教始まりの地だったのだ。そこに鎮座する本尊をこう表現している。
「日本彫刻史上の最高傑作、寺外初公開のご本尊」「空海も見つめたご本尊」
その国宝は「薬師如来立像」である。
空海が神護寺に入る前から本尊として祀られていたそうだ。
昨日、岡本光平先生により、東博の講義室で特別講義「神護寺レクチャー」が開催された。
1200年の至宝集結を見たばかりの興奮覚めやらぬ状態で聞く岡本光平空海論は、空海が現代に蘇ったように生々しいイメージを喚起された。
その貴重なエピソードはたくさんあったが、印象深いのは「なぜ空海は山岳修験道に身を投じたのか?」という若き日の空海のナゾに対する解釈だった。
修験道の一番の目的は衆生を救うこと、そのためには医療活動や公共事業、鉱物資源の活用、怨霊調伏など様々あるが、一番人を救えるのは薬草の知識だった。その知識を身に付けていた空海が薬師如来を本尊として祀っていたという解釈は、凄い説得力だった。
あらためてこの佛像と向き合うと、衆生を苦しめる病に打ち勝たなければならないという薬師如来の厳しい意志が籠められていた。
今まで神護寺を三度訪れていながら今回初めて気づいたことがある。空海の三大聖地、善通寺、東寺、高野山金剛峯寺のネーミングとは異なる、原点ならではの重みである。
「神が護る寺」空海が唐から帰朝後、真言密教の種子を撒いた地にふさわしい空海の肉声、それが聞こえるような力強い響きだ。




「薬師如来立像」