こんな時に、無趣味の人間としては本を読む事くらいしかする事がない日々です。
いろいろ読んでいますが大阪弁が心地好く、田辺聖子さんが4冊目に、そしたら思いがけない一文に廻り合いました。
びっくりしたのは、お聖さんの『大阪では、「商売人」というと讃辞である。』という一言でした。
関東より東の日本で「商売人」という言葉を褒め称える文化はないと思います。そんな土壌で育った自分に、ビジネスの肝を味わわせてくれる教えとなりました。(以下、『女はふともも』より)
『大阪では、「商売人」というと讃辞である。
それは、商売をしている人、という意味ではなく、人柄の謂いである。あいての望むところをくまなく知り、こっちの要求も具体的に示して、どうかして接点をみつけようと押したり引いたり、進んだり退いたり、する。イロイロ試みて合致しなくてもあきらめず、
「ま、一服やりまほか」
とお茶なんか飲み、呼吸をはからって、また、小手しらべを再開する。そうしているうちに、相手の性質もクセも飲みこんでくる。こう攻めればこういうとわかってくる。だんだん、すり足で近づいて、これならどう、これなら、といろんな案を出す。それだけのことができるには、ムダ話をかなりしなければいけない。ムダ話をして、関心をつなぐには力量が要る。力量は人生の蓄積からしか、出てこない。
だから、大阪人は、そういう力ある男や女を、
「あれは、ショウバイニンや」
とほめたたえ、力量のない人を、
「あれは、ツトメニンや」
とけなす。』
こんな今、「ツトメニン」と思うとやることがない。「商売人」と思えばやることはいくらでも有る。本で暇を潰している場合じゃおまへんで! と反省しつつ、お聖さん、勉強になりました。おおきに。


いろいろ読んでいますが大阪弁が心地好く、田辺聖子さんが4冊目に、そしたら思いがけない一文に廻り合いました。
びっくりしたのは、お聖さんの『大阪では、「商売人」というと讃辞である。』という一言でした。
関東より東の日本で「商売人」という言葉を褒め称える文化はないと思います。そんな土壌で育った自分に、ビジネスの肝を味わわせてくれる教えとなりました。(以下、『女はふともも』より)
『大阪では、「商売人」というと讃辞である。
それは、商売をしている人、という意味ではなく、人柄の謂いである。あいての望むところをくまなく知り、こっちの要求も具体的に示して、どうかして接点をみつけようと押したり引いたり、進んだり退いたり、する。イロイロ試みて合致しなくてもあきらめず、
「ま、一服やりまほか」
とお茶なんか飲み、呼吸をはからって、また、小手しらべを再開する。そうしているうちに、相手の性質もクセも飲みこんでくる。こう攻めればこういうとわかってくる。だんだん、すり足で近づいて、これならどう、これなら、といろんな案を出す。それだけのことができるには、ムダ話をかなりしなければいけない。ムダ話をして、関心をつなぐには力量が要る。力量は人生の蓄積からしか、出てこない。
だから、大阪人は、そういう力ある男や女を、
「あれは、ショウバイニンや」
とほめたたえ、力量のない人を、
「あれは、ツトメニンや」
とけなす。』
こんな今、「ツトメニン」と思うとやることがない。「商売人」と思えばやることはいくらでも有る。本で暇を潰している場合じゃおまへんで! と反省しつつ、お聖さん、勉強になりました。おおきに。

