前回のパパラギから、「豊かさ」とは、不足を埋めることではなく、現状に感謝することではないかという思いに至った。
欲望の追求にはキリがない。
島民は最初から世界が無限でないことを知っていた。


ボンベイに夜遅くに着いた。
空港から街のホテルまで、熱帯のスコールが降りしきる暗い道をバスは走っていた。
街まで30分以上あった。
何気なく窓の外を見やると、家々の軒先に人々が立っている。

やがて延々と続くその光景は異常であることに気付いた。
強い雨が地面を叩くのをよけて、軒下に非難する群れが何キロも続いている。
闇の中に黒い肌が溶け込み、白い目だけが光っていた。
初めは、暑さしのぎで、家から外に出ているのかと思っていたが、雨の中の集団夕涼みでないことはわかった。

ホテルに着いて、現地ガイドに聞いた答えが、「彼らは路上生活者」だった。
雨が止み、大地が乾いたら、地面を線で囲む。
それが彼らの家であり、その中で家族の暮らしが営まれて暮いる。
雨が降れば、他人の家の軒下に避難してやり過ごすだけ。
いきなり、インドという底知れない異文化にぶち当たって、カルチャーショックを受けた。

翌朝、繁華街の混雑した交差点でのこと。
5、6歳位の痩せこけた少年が、四隅にキャスターの付いた40センチ四方の板に乗った姿で追いかけて来る。
金をくれと叫びながら、板を漕いで、必死の形相で迫って来るのだが、少年には両股の付け根から足がない。
キャスター付きの板車が、彼の足であった。
車とバイクが錯綜する危険な谷間を、そうして喜捨を求めて暮らしている。
心を痛める間もなく、ガイドが言う。
「アウトカーストの親は、我が子が生きていけることを願って、足を切ったり、目をつぶしたりしなければならない」
五体満足の方が、生きにくいサダメのもとに彼らは生まれて来たという。

映画「サラーム・ボンベイ」を観て、ストリート・チルドレンたちの過酷な生活と、たくましい生命力は知っていたが、実際の体験には圧倒された。

現在のインドの繁栄からは想像しがたいが、「ムンバイ」が「ボンベイ」と言われていた20年近く前のことだ。


奈良桜井市で5歳児が両親に見捨てられ、餓死させられたニュースに、ようやく兆した春の陽気も、凍ってしまう。


今も心の中に張り付いたままの、ストリート・チルドレンのたくましい呼び声が蘇った。