この記事書いてからもうこんな時間経ってたの!?やば。ずっとほったらかしてるから書くぜ逃避で!

・・・たぶん前置きの方が記事が長い(屑

 

前回までのまとめ。

良くも悪くも、いろんな角度から性格、人間性をどうこう言われ続けてウン十年、私のど真ん中にある行動原理は何なのか書いてみようと思ったのであった。

 

今の私のど真ん中にあるのは「より良い自分になりたいとずっと思ってきたが、自分の人格には限界があり、だったらせめて良い人間が言動するのと同じように言動出来るようになりたい」だと思う。

 

これ20代までは「より良い自分になりたい」だけね。30代で「自分の人格には限界があり、どうしても心から祈れない事が出てくる」、で今↑になってる。

 

話は一回飛ぶけれど、自分の人格形成に大きく影響を与えたものや出来事が、皆様にも何かしらあると思う。

 

幼少期家庭環境が悲惨で小学校たくさん転校して(クソ生意気だったから自分のせいなんだけど)どちゃくそいじめられ石投げられて育った私は、この世にはロクな大人がいないのではないかと思いつつあった。たぶんそのままだったらグレてた。

 

でもそうならなかった。運良く読書という習慣を身につけたおかげで、私は「今ここにはいない、たまたま私のそばにはいないけれど世界のどこかには素晴らしい人が必ずいる」と信じられた。「出会ってさえいれば絶対に私を助けるような人間性の人がこの世のどこかにはいる」と思えた。救われた。たぶん救われすぎた。縋りすぎたのかもしれない。小学校~高校生くらいの私は、文字や言葉の影響を強く受けすぎたように思う。

 

「素晴らしい人がこの世のどこかにはいる!」と思えるのが、読書による祝福なら、呪いもある。例えばマーク・トゥエイン「人間とは何か」。中学生の私は「人に自由意志などない」に有効な反論を思い付かずにしばらく呪われた。さて、祝福か呪いか分からないけれど、中学生の頃に読んで強く影響を受けた本のひとつが太宰治「斜陽」だ。(太宰治をものすごく好きというわけでもない。作品により読めたり読めなかったりする。)

 

斜陽の中にこういう文章がある(青空文庫より)。細かくは省くが「僕」が「洋画家の奥さん」に恋をしたシーン。

 

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それから僕は、或る冬の夕方、そのひとのプロフィルに打たれた事があります。やはり、その洋画家のアパートで、洋画家の相手をさせられて、炬燵こたつにはいって朝から酒を飲み、洋画家と共に、日本の所謂いわゆる文化人たちをクソミソに言い合って笑いころげ、やがて洋画家は倒れて大鼾おおいびきをかいて眠り、僕も横になってうとうとしていたら、ふわと毛布がかかり、僕は薄目をあけて見たら、東京の冬の夕空は水色に澄んで、奥さんはお嬢さんを抱いてアパートの窓縁に、何事も無さそうにして腰をかけ、奥さんの端正なプロフィルが、水色の遠い夕空をバックにして、あのルネッサンスの頃のプロフィルの画のようにあざやかに輪郭が区切られ浮んで、僕にそっと毛布をかけて下さった親切は、それは何の色気でも無く、よくでも無く、ああ、ヒュウマニティという言葉はこんな時にこそ使用されて蘇生そせいする言葉なのではなかろうか、ひとの当然のびしい思いやりとして、ほとんど無意識みたいになされたもののように、絵とそっくりの静かな気配で、遠くをながめていらっしゃった。
 僕は眼をつぶって、こいしく、こがれて狂うような気持ちになり、まぶたの裏から涙があふれ出て、毛布を頭から引かぶってしまいました。
 姉さん。
 僕がその洋画家のところに遊びに行ったのは、それは、さいしょはその洋画家の作品の特異なタッチと、その底に秘められた熱狂的なパッションに、酔わされたせいでありましたが、しかし、附き合いの深くなるにつれて、そのひとの無教養、出鱈目でたらめ、きたならしさに興覚めて、そうして、それと反比例して、そのひとの奥さんの心情の美しさにひかれ、いいえ、正しい愛情のひとがこいしくて、したわしくて、奥さんの姿を一目見たくて、あの洋画家の家へ遊びに行くようになりました。

 

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「正しい愛情のひとがこいしくて、したわしくて」という表現。

「正しい愛情」。10代の私が、それまで生きてきて一番欲しいと思っていたもの。そう明確に意識した事があったわけではなかったが、そう書かれている文字を見た時、自分はそれが欲しくてずっと苦しかったんだなと分かった。それと同時に「自分は正しい愛情」を与えうる人間になれるのか?という疑問も生まれた。それがもし、とても難しい事なのだとしたら、父に、母に、その他私を傷付けた大人たちに出来なかったとしても仕方ない。そしてもし自分も生涯それが出来なかったら、ものすごく嫌だけど、全ての人を許さなくてはならないのではないか、と思った。

 

私はこの「奥さん」のように、親切を、何の色気でも無く、慾でも無く、ひとの当然の思いやりとして無意識になせるのだろうか?と自問自答した。このように出来なければ、人に正しい愛情を発揮する事も出来ないのではないか、こういう心を持たなければ誰にも愛される資格もないのでは?と。私が家庭内で見てきた悲惨な何かは、「正しい愛情」を持っていたら避けられたのではなかろうか?だとしたら、私は絶対にそれを手にいれなければならない。そう思った。(その後、それを持ってると思えるたくさんの人に会った。お金がどうこうとはまた違う「育ちの良さ」というものがあり、意識せず奥さんのように親切を習慣と出来る人々がいて、うわーかなわねぇなァってなる)

 

それ以降私は「人に親切に出来る自分でいるか」を意識するようになってしまった。そんで、ずっと忘れられないので一生無意識になれないまんまになってしまった。

 

たとえば小説のように雑魚寝しているひとがあった時、私は奥さんのように毛布をかけてあげられない。「ああ!雑魚寝をしているひとだ!毛布をかけなければ!ヒヒヒニュウマニティを発揮しなければ!!」とロボットみたいに不自然な動きで毛布をかけるんだと思う。かなしい。「尊敬されたい!」という動機ならやればやるほど本質的には尊敬から遠くなる、みたいなもんだ。流れるように親切に出来ない。いったん頭で考えて「〇〇すべき」だからする。不自然で、肩に力が入ったまま。ずっと心がけているのに無意識の習慣にならない。「媚を売る」に近いニュアンスで親切を売るような自分がかなしい。親切を意識した瞬間に、行動の芯にあるべき善良さが蒸発する気がする。

 

かなしいけど、そうなものは仕方ない。40も過ぎると自分の人格の限界に諦めもつく。私はたぶんこれからも、何かをする時「正しい愛情のひと」ならどうするかを一旦考える。

なりたい自分にはたぶん一生なれない。反射で動く時もある。だからせめてなったふりをしたい。なったのと変わらない言動が出来る自分を目指し続けたい。冒頭に戻るが、今の私のど真ん中にあるのは「より良い自分になりたいとずっと思ってきたが、自分の人格には限界があり、だったらせめて良い人間が言動するのと同じように言動出来るようになりたい」だと思う。良く語られる「そらおはいいやつかわるいやつか」の答えは「わるいやつなんだけど、いいやつのふりを一生懸命するつもりのやつ」。綺麗事は本気でやりゃあただの「綺麗」だと思ってるんじゃ。

 

・・・とは言ったがまぁケースバイケースで全然いいやつでいなくてもいーなーって瞬間あるけどね!hahaha!!

しかしこれは祝福か呪いか。80くらいになったら身に付かなねーかなー正しい愛情。