私は以前、生駒の宝山寺にある岩屋のお滝で、
滝行をさせて頂いた。
勿論、生前の師に入れて頂いていた。
これは、以前にも少し触れたが…
その滝行のスタイルが独特である。
私はつい最近まで、そのスタイルが普通だと思っていた。
しかし、それは…私の師が編み出した形。
写真や映像でも、同じスタイルを見たことがない。
その事実を、後になって気付いた。
師がいない今となっては…
その体験はかけがえないものである。
もう、誰も体験することは出来ないのだ。
その時の滝の中は、異空間である。
次元の扉そのものと言って良いだろう。
簡単に例えれば…
アニメの『鋼の錬金術師』の錬成陣。
(見たことがない方はごめんなさい…)
あれに似ているような気がする。
その空間の中では、何が起きても不思議ではない。
沢山の神様が降りて来られるし、良からぬ者達も顔を出す。
(私は霊視が出来ないタイプなので見えていないが…)
不思議な事に…
滝行をしていると…
周りにずらりと神様(高次の存在)が並ばれたりする。
お姿は私には見えないのだが、
沢山の光に包まれるというのであろうか?
(勿論、凄いエネルギーでもある…)
「きょうは凄かったなぁ…」
「あれ、気付いてたか?」
滝行が終わってから、そんな話が当たり前であった。
だが…
当たり前に神様が降りて来られる訳がない。
今から考えれば、非常に奇妙な話である。
「滝行ってこういうものなんだ…」
その頃の私は…そう思っていた。
その希有な出来事を、見誤っていたのである。
滝行の場合…
高次への扉…
異空間への入り口…
それらは…
場のエネルギーを使って、開いている。
その時の独特の感覚がある。
それは…
周りがざわつくのである。
話し声の様なものが聞こえて来たり…
狭いフィールドに、沢山人がいるような感じがする。
勿論、それは人ではなく、高次の存在…
「何が起きても不思議ではない…」
パワースポットとはそういう「場」なのである。
時々…
師が自慢げに、滝行に触れていたことを思い出す…
そして、私は…
今になって、師の偉大さを思い知る。
滝行は私の始まりである。
神秘体験の多くもここで起きている。
師は病を押して、私達を滝に入れてくださった。
今は感謝しかない。
この体験をどうするかは自分次第…
答えも自分で見つけるしかないのである。