先祖供養とお経…その2 | 空の宇珠 海の渦 

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-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話

 

 

 

 

昨日の法事から、無事に帰って来ました。



先祖供養…



結局のところ故人の為ではなく、



残された者のためなのか…



そんな感じがする。




「決められた形さえやっておけば問題ない…」




だが、その考えは故人の為ではなく、



生きている者が創り出している。




届かぬお経に何を託すのか…



私には知る由もない。



その解決の糸口は私には見えなかった。





お昼に料亭でご馳走を頂いた。



どれもすばらしく美味しかった。



計算された文句のつけようがない味。



しかし、この美味しいに感動はなかった。




この問題は私の心の中にある。




食べる事に関して「もういい」と感じている。




芸能人のブログでもよく見かける食べ物の写真。



私も何度か食べ物を載せたことがある。




「こんなに美味しいのに、ここではないのだ…」



それが料亭で食事をした時、感じたことだ。




お腹が空いた時に食べる日常の食事。



好きな人と分け合って食べるパン。



そこには未知の味が隠れている。




その味は自らが創り出す味だ。




どんなに腕のいい料理人でも、これは生み出せない。



「もういい…」


私の求めているものはこれではない。



誰が何を食べていようが、羨むことはない。



これが、私の正直な気持ちであった。




息子や娘は美味しそうに食べていた。



それを見ると私も楽しくなった。




子供達にとってはこちらが未知の味。



滅多に食べられるものではない。




結局…



先祖供養は故人の為ではない。



残された者の心の問題である。




形にこだわる必要はない。



お経だって届かないのだ。




「これでいい…」



そう思えることが大切ではないだろうか?



今回のことでそれがよく見えた。



決めるのは自分。



やはり、答えは自分の中にしかないのだ。