先日、あるドラマで生放送をやっていた。
テレビが始まった頃には良くあった話なのだが、
録画技術が進んだ現代では珍しい。
見ていた娘達の話では、演技は面白かったようだ。
『何が起きるかわからない』
舞台の演劇を見ているようなものだろうか?
作り込まれた演出も良いが、
何が起きるか分からない生放送も楽しい。
見ていてどきどきするものだ。
私達の人生も録画では無く、生放送だという感覚がある。
しかし…
私自身の感覚の変化のことではあるのだが…
最近、編集された映画のように、一瞬白い光が見える事がある。
映画館で映画を見ているとよく起きる。
編集でコマを繋いだ部分だ。
「あれ、これってシフトなのか?」
と感じる事がある。
パラレルワールドの次元移動。
時の扉
を書いたのも、このことがあってからだ。
人生も編集されているのでは?
その感覚はそれに近かった。
信じられないことが起きた時、目を疑う。
漫画などでは、目を擦ったりする
「何かが起きる…」
そんな感覚は無いだろうか?
パラレルワールドの移動は頻繁に行われている。
それこそ映画の一コマ一コマのように。
その中でも大きく変わる部分。
感じているのはこの部分だ。
それがあると良いことが起きる。
会いたいと思っている人に再会したり…
想像を超える出来事が起きたり…
後から気付く時もある。
「あれが、そうだったのか…」
いわゆるシンクロが起きているのである。
その光は、分岐点やターニングポイントであるかも知れない。
今までは全く気付かなかった現象である。
全てはエネルギーである。
量子テレポテーションだって起きるはずだ。
感度が上がると、見えなかったものが見えたりする。
しかし、意識を向けなければ見えることはない。
(フォーカス、ピントを合わせたりする)
『小さな音は、耳を澄まさなければ聞こえない…』
それと同じだと言える。
同じように雑踏の中では、消されてしまうものなのだ。
周りの影響も無視は出来ないだろう。
生放送…
テレビが始まった頃の当たり前の形…
それが、現代にとっては新しい形なのかも知れない。
何が起きるか分からない。
わくわくドキドキする。
一度、原点戻ってみることも悪くは無いだろう。
見失ったものが見えてくるかもしれない。
それは私達も同じである。
古代人の感覚は、私達を遙かに超えていたはずだ。
「目を懲らし、耳を澄ます…」
これは大切な事なのだ。
求めているものはすぐ近くにある。
そう言う事なのかも知れない。
私はそう感じている。