このほどSONYから、プレーステーションVRが発売された。
簡単に言うと、グラス型のディスプレイのゲーム再生機である。
左がグラス型ディスプレイ、右が動きを捉えるセンサーらしい…
頭に装着すると視界はゲームの映像しか見えない。
しかし、頭を動かすと…
自分が動いている様に視点が変わる。
自分が見ている様に感じるのである。
VR(バーチャル・リアリティ)・
仮想の現実を、体験出来る装置である。
もちろん、仮想であるから現実では無い。
朝の番組でちょっと見かけたのであるが、
試しに使った方の反応は本気であった。
これを見てピンと来た方もいるだろう。
視覚と聴覚は完全に奪われた。
あと、味覚と臭覚と触覚が残っている。
残りの三つを情報化できたら…
仮想と現実の区別がつかなくなる。
手の痛みは、手が感じているのではない。
手には痛点というセンサーがあるだけだ。
痛点の信号は、、神経を通じて脳に運ばれる。
感じているのは脳だ。
脳が勝手に、世界を創造しているとも言える。
もし、この信号全てが…
遠隔で脳に送る事が出来たら…
仮想現実は仮想で無くなる。
例えば…
生まれてからずっとこのようなものを装着し、
生かされたとしよう。
違う世界を見て生活させられたとしょう。
機械を外した時の驚きは果てしないだろう。
だが、これはある現象に似ている。
それは、「死」である。
今まで生きてきた世界…
それとは全く別の世界に一瞬で飛ぶのだ。
実際には機械を外しただけだ。
世界を飛び越えた訳では無い。
頭の中には、前の世界の記憶しか無い。
今の世界のことは何もわからない。
「おんなじやんか…」
私は映像を見て思ってしまった。
仮想と現実が同時に存在したとしても、
信じてしまえば、どちらかが真実になる。
出来すぎた仮想現実マシンは人の感覚を狂わす。
その世界にのめり込み、出てこられなくなる。
そんな世界はもう目の前に来ている。
そして、もう一つ言える事がある、
現実との区別がつかない仮想現実…
それは、今まさに私達が生きている世界かも知れない。
映画「マトリックス」で描かれたあの世界だ。
『人はシュミレーションの中で生きている…』
これは、冗談ではなく本当の話かもしれない。
全てが幻想であってもおかしくはない。
別の世界は確かに存在するからだ。
ならば…
そう思える出来事であった。