古今和歌集で、後嵯峨天皇が
「布留の滝」と詠んだ滝と言われている桃尾の滝。
私の、「空海が絶対に行った」リストに入っている場所だ。
朝起きて急に行きたくなったので、子供をサッカーの試合に送ってから行ってみた。
それというのも、次回作はこの滝をメインに話を考えていた。
だいたいの書きたいことは浮かんでいるのだが、迷っていた。
これは、近くだし行った方が早いぞ…と思った訳だ。
しかし、滝に行ってみるとなにやらイベントが行われていた。
滝の前で30人ほどが何かを食べていた。
「これは…ちょっと…」と思い横を通り過ぎた。
上には大親寺という寺がある。
「行ってみるか!」
和銅年中に、義淵により開基。
その後、行基が伽藍を整備したと伝える。
そして、空海が再興し、真言密教の道場となり、
真言宗桃尾山蓮華王院龍福寺と号した。
ウィキペディアにはこう書かれている。
だが、登るつもりは全くなかったので、足下はスニーカーだ。
歩き始めて気がつくのであるが、前夜の雨で濡れた苔が滑る。
「とにかく行けるところまで行こう…」と覚悟を決めた。
1km足らずだが坂道であるが故に遠い。
足下に注意しながら歩いて行くと、それらしきものが見えた。
思っていたよりもいい空間。
新緑のメープルと、苔の絨毯が出迎えてくれた。
黄緑の色が非常に美しい。
並んだ石仏には空海らしきお姿…
本尊は釈迦牟尼仏らしいが本堂には入れない。
横の不動堂を覗くと、不動明王が座っておられた。

しばらく、黄緑の空間にいたのだが…なにやら妖しげなお誘いが…
「毒食わば皿までか…」その波動の正体を知りたくなった。
その先は国見山(桃尾山)の頂上である。
道無き道を上る。
まるで獣道。
道というのではなく、水が流れたあとのようだ。
スニーカーで来たことを後悔する羽目になった。

だが、あることに気付いた。
第三の目が開いているのだ。
これは、三輪山に登っているときと同じ感覚。
霊気も感じられる。
だが、舐めてはいけない。
三輪山よりは楽だが道は非常に険しい。
息を切らせながら歩き続けると、大きな岩が見えた。
そのすぐ上が頂上であった。
頂上には岩と祠があった。
三輪山と同じく、これがご神体らしい。
原始宗教は、ほとんどが岩などの自然物を祀っている。
だが、ここはそうではないが、実際に岩などの裂け目から霊気が出ている。
そのことは疑う余地も無い。
国見山とはよく言ったものだ、奈良の国が一望できた。
心地良かったのだが、誘われたことは忘れてしまっていたのであった。

パート2に続く…