毎月恒例の三輪山に登った。
最初に登った時から気になっている人がいた。
それは波動が素晴らしかったからである。
それから登る度に登山道ですれ違う。
「今度逢ったら声をかけてみよう」
そう思っていたら、今日も出会った。
「毎日登られてるのですか?」
思い切って声をかけてみて驚いた。
実はパワーストーンとかやっている人だと思っていた。
ところが、そうではなかった。
「ただ、ここに来たくて登っているだけなんです」
その方はそう言った。
エネルギーとかあまり気にしていない。
本人はわからないと言っていた。
その事実に驚いた。
だが、実の所分かっているのである。
気がついていないだけだ。
私はそう感じた。
料理のおいしい味は分かるけど、
中に入っている隠し味が分からない。
「こんな人もいるんだ…」
天才肌とはこういう人をいうのだろう。
そう思った。
でも、よくよく考えて見れば、そういうことなのかも知れない。
エネルギーレベルの高いところに来たくて仕方が無い。
時間があれば登っている。
しかも、この場所に来ることが楽しい。
穢れる要素が全くない。
その通り、まるで天使のような方であった。
楽しい時間を過ごさせて頂きました。
実は、そのあと頂上でもう一人、女性の人に逢った。
その方は幽霊とか見える人のようで、どちらかというと敏感な方だ。
だが、エネルギー波動は感じないらしい。
まさに、さまよっている感じであった。
目の焦点が合わない。
人のブレスの石を気にしたり。
自分がどう見えているか気にしたり。
そのことについていろいろ話したが、
わかってくれたであろうか?
見えていないが分かっている人。
見えているのに迷っている人。
人は見えるから迷うのだろうか…
下山途中にいろいろ考えてみた。
先の方は「楽しくて仕方が無い」と言っていた。
後の方は、「人に言われたから来た」と言った。
楽しいには迷いがない。
人に言われたのは迷っているからだ。
輝くための基本は、楽しいか、楽しくないかである。
楽しいと思う心に嘘はない。
ときめく心は高いエネルギーを生み出すのだ。
このことは小説に何度も書いてきた。
その答えを見たような出会いでありました。