真魚は笑っていた。
「そういうことだったのか」
嵐は感心していた。
「お主はあの時、それを見ていたのだな」
「そうだ」
嵐は全てを見透かしている真魚を、心底恐ろしいと感じた。
改めてそう感じずにはいられなかった。

倭の兵が川を渡り始めてから時間が過ぎていく。
蝦夷の連合軍はその間に矢などの武器の補給を行う。
阿弖流為はある程度の時間をおいてから用意してあった旗を振った。
何かの合図のようであった。
かすかに見える丘の上で同じように旗を振る姿が見えた。
「何が始まるのだ?」
嵐は真魚に尋ねた。
「見ていればわかる」
真魚はそれだけ言った。
見た目には何も起こらなかった。
だが、何かがおかしい。
「何だ、倭の奴ら…」
嵐は視覚より先に波動を感じていた。
真魚はそれを見て笑っていた。
しばらくすると雨が降り出した。
「恵みの雨か…」
真魚が言った。
「真魚、お主…」
嵐が気づいた。
これは間違いなく真魚の仕業だ。
降り出した雨が激しくなった。
「通り雨だ」
真魚はそれだけ言った。
倭の兵は狼狽えた。
川の水が増して動けなくなった。
膝まで来ると人は動けない。
どんどん流されていく。
もう向こう岸には渡ることが出来ない。
先に渡った倭の兵が取り残される事になる。
阿弖流為が振った旗の意味がこれであった。
予め作っておいた上流の堤を壊したのだ。
これで、一気に水が流れる。
そして、雨がそれを手助けしたことになる。
考えていたよりも長い時間、水の量が減らない。
その時間は、孤立した倭の兵が絶望へと向かう時間だ。
ほぼ半分の兵が孤立した。
それでも倭の兵の方が遙かに多い。
だが、蝦夷にしてみれば半分という量は戦意を高める。
蝦夷の連合軍は反転し倭に向かって行った。
「よくこんなことを思いつく…」
嵐は感心していた。
これで倭の勝ちは無いに等しい。
それは伝わってくる波動からも感じ取れる。
「だが、真魚…」
嵐が言いかけて止めた。
不安はよからぬものを引き寄せる。
蝦夷と倭がぶつかり合おうとするその時…
倭の兵が止まった。
蝦夷の連合軍はそのまま向かっていく。
すると倭の兵が逃げ出した。
阿弖流為は兵を止めた。
逃げた理由を知りたかった。
音がした。
馬の蹄の音だ。
阿弖流為が振り返ると丘の上に何か見えた。
「何だ!」
馬に乗った黒い集団が向かって来る。
その数、数百。
その服装に見覚えがあった。
「那魏留…」
山賊達であった。
「阿弖流為、俺たちもにもやらせてくれ」
「もとは同じ蝦夷だ!」
那魏留はそう言って大刀を引き抜いた。
人のものよりはるかに長く太い。
「その大刀…」
その刀を見て阿弖流為は思い出した。
その昔、阿弖流為が父から聞いた話だ。
大刀を意のままに操る戦士がいる。
「あれは…那魏留の事だったのか…」
「大分昔の話だ」
そう言うと黒い集団は倭に向かった。

これ以上の助けはなかった。
蝦夷の士気が上がる。
「行くぞ!」
うおおおおおおおお~
蝦夷に声が上がる。
倭に逃げ場はない。
川は増水して渡れない。
背水の陣は倭の方であった。
死の恐怖が絶望に変わる。
絶望が渦を巻いていく…。
「おい、真魚…」
嵐が気になっていた。
「わかっている」
真魚はもう目を離さない。
『気をつけろ…』
美しい声が真魚に届く。
続く…