紫音は丘の上まで走った。
涙が溢れてきた。
もう堪える必要はない。
走りながら泣いていた。
声を上げていた。
子供のように…。
一気に丘の上まで駆け上がった。
膝を着いた。
その手で草を掴んだ。

息が切れる。
涙が止まらない。
切なさがこみ上げる。
儚さが胸を締めつける。
そのまま立ち上がった。
霧の向こうに戦に行く男達が見えた。
かなり小さいが紫音には見える。
「大好き…」
紫音はつぶやいた。
言えなかった言葉。
言わなかった言葉。
「母礼、大好き!」
声が大きくなった。
心が震えている。
魂が震えている。
紫音が叫んだ。
「だいすき!!!!!!!」
「母礼、だいすき!!!!」
「だいすき!!!!!」
叫び終わると草の上に座り込んだ。
言えなかった最後の言葉。
言わなかった最後の言葉。
涙が止まらなかった。
声を上げて泣いていた。
言えば逢えなくなるような気がした。
だから言えなかった。
だから言わなかった。
でもこの気持ちだけは伝えたかった。
泣きながら草の上に寝転んだ。
涙の向こうに青い空が見えた。
泣きすぎて息が詰まった。
深呼吸をした。
大地の息吹を身体に満たした。
不思議な感覚…
心が震えている。
悲しみが薄れていく様な気がした。
目を瞑って心の底を覗いた。
そして今の思いをかみしめた。
光の粒が集まっていく。
それが渦を描きながら広がっていく。
感情と生命が融合していく。
やがてそれは心の器を満たした。
「大地は包んでくれる」
紫音は目を開けた。
「何!」
金色の光の粒が降っている。
雪の様に舞い降りている。
「これは、火魏留を治したとき…」
感じたものがそこにあった。
「見える!」
「これが大地の息吹…」
「これが生命!」
紫音の心は感動で震えている。
生きる事の意味を感じている。
紫音はその感動を伝えたかった。
「出来ることがある」
紫音は立ち上がった。
「蝦夷の未来のために!」
「まだ何も起こっていない!」
「そうよね、真魚!」
光が世界を包み込んでいた。
その中で紫音は一筋の光を見つけた。
嵐は心配していた。
「どうなることかと思ったが…」
空の上から紫音を見ていた。
「案ずるより産むが易し…か…」
背中の真魚が言った。
人は心象で未来を拓く。
その未来を人は掴む。
そしてそれが過去になる。
だが…
その心象は時として人を惑わす。
起こっていない事に人は畏れ不安を抱く。
不安は選んではいけない未来を選ぶことになる。
どんよりとした雲の中に、自ら足を踏み入れる。
「先ほど細工をしたであろう?」
嵐が真魚に言った。
「何の事だ…」
真魚はとぼけて見せたが嵐は気づいていた。
「母礼の様な鈍感な男には紫音がいい…」
更に真魚はそう言った。
「確かに阿弖流為とは違うな…」
その点は嵐も納得である。
「紫音は未来を拓く鍵になる」
「お主もそう感じたのであろう?」
真魚が言った。
「だから大地を見せたと言いたいのか?」
嵐は真魚に反論する。
「俺はそう感じたのだが、違うのか?」
「成り行きだ!」
嵐は真魚の出した答えを却下する。
「お主という奴は…」
真魚は呆れていた。
「結果的には良かったではないか!」
嵐は自分の行いは否定しない。
「まあよい、行くぞ!」
真魚がそう言うと嵐が飛んだ。
光が蝦夷の空を二つに分けた。

続く…