空の宇珠 海の渦 第五話 その四十 | 空の宇珠 海の渦 

空の宇珠 海の渦 

-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話




紫音は丘の上まで走った。
 
涙が溢れてきた。

もう堪える必要はない。
 
走りながら泣いていた。
 
声を上げていた。
 
子供のように…。
 
一気に丘の上まで駆け上がった。
 
膝を着いた。
 
その手で草を掴んだ。
 

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息が切れる。
 

涙が止まらない。
 

切なさがこみ上げる。
 

儚さが胸を締めつける。


そのまま立ち上がった。
 

霧の向こうに戦に行く男達が見えた。
 
かなり小さいが紫音には見える。
 

「大好き…」

紫音はつぶやいた。
 

言えなかった言葉。
 
言わなかった言葉。
 

「母礼、大好き!」
 

声が大きくなった。
 
心が震えている。
 
魂が震えている。
 

紫音が叫んだ。
 

「だいすき!!!!!!!」
 

「母礼、だいすき!!!!」
 

「だいすき!!!!!」
 

叫び終わると草の上に座り込んだ。
 

言えなかった最後の言葉。
 
言わなかった最後の言葉。
 


涙が止まらなかった。
 
声を上げて泣いていた。
 
言えば逢えなくなるような気がした。


だから言えなかった。
 
だから言わなかった。

でもこの気持ちだけは伝えたかった。



 
泣きながら草の上に寝転んだ。
 
涙の向こうに青い空が見えた。
 
泣きすぎて息が詰まった。
 

深呼吸をした。
 

大地の息吹を身体に満たした。
 

不思議な感覚…
 

心が震えている。
 

悲しみが薄れていく様な気がした。
 

目を瞑って心の底を覗いた。
 

そして今の思いをかみしめた。
 

光の粒が集まっていく。 
 

それが渦を描きながら広がっていく。
 

感情と生命(エネルギー)が融合していく。
 

やがてそれは心の器を満たした。
 

「大地は包んでくれる」
 
紫音は目を開けた。
 
「何!」
 

金色の光の粒が降っている。
 
雪の様に舞い降りている。
 

「これは、火魏留を治したとき…」
 
感じたものがそこにあった。
 

「見える!」
 
「これが大地の息吹…」
 
「これが生命!」
 

紫音の心は感動で震えている。
 

生きる事の意味を感じている。
 

紫音はその感動を伝えたかった。
 

「出来ることがある」


 紫音は立ち上がった。


 「蝦夷の未来のために!」


 「まだ何も起こっていない!」


 「そうよね、真魚!」


光が世界を包み込んでいた。 


その中で紫音は一筋の光を見つけた。
  
 






嵐は心配していた。
 

「どうなることかと思ったが…」

 
空の上から紫音を見ていた。
 

「案ずるより産むが易し…か…」
 
背中の真魚が言った。
 


人は心象(イメージ)で未来を拓く。
 

その未来を人は掴む。
 
そしてそれが過去になる。
 
だが…
 
その心象は時として人を惑わす。
 
起こっていない事に人は畏れ不安を抱く。
 
不安は選んではいけない未来を選ぶことになる。
 
どんよりとした雲の中に、自ら足を踏み入れる。
 
 

「先ほど細工をしたであろう?」
 
嵐が真魚に言った。
 

「何の事だ…」
 
真魚はとぼけて見せたが嵐は気づいていた。
 

「母礼の様な鈍感な男には紫音がいい…」
 

更に真魚はそう言った。
 

「確かに阿弖流為とは違うな…」
 
その点は嵐も納得である。
 

「紫音は未来を拓く鍵になる」
 
「お主もそう感じたのであろう?」
 
真魚が言った。


「だから大地を見せたと言いたいのか?」
 
嵐は真魚に反論する。
 

「俺はそう感じたのだが、違うのか?」
 
「成り行きだ!」
 
嵐は真魚の出した答えを却下する。
 
「お主という奴は…」
 
真魚は呆れていた。
 

「結果的には良かったではないか!」

嵐は自分の行いは否定しない。
 

「まあよい、行くぞ!」
 

真魚がそう言うと嵐が飛んだ。


光が蝦夷の空を二つに分けた。


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続く…