霧が立ちこめた朝であった。
空は晴れている。
霧の幕が空と大地を分けている。
光が霧の中を抜けていくのが見える。
武装した者達が村の出口に集まっていた。
この村だけで百人ほどが集まっている。
これから戦に行く。
村の出口は見送りの者達で溢れていた。
紫音はその中で人を探していた。
村の者ほとんどがそこにいる。
なかなかその場所までたどり着けなかった。
「いた!」
やっと見つけた。
駆けだしていく。
その想いと同調していく。
もう自分に嘘はつけない。
もう迷わない。
「母礼!」
「紫音!」
母礼はその声が好きだった。
紫音はなかなか言葉が出なかった。
言いたいことがありすぎて、言葉の出口を塞いでいた。
「絶対に死なないで…」
それを言うのが精一杯であった。
涙が溢れてくる。
「どうした紫音らしくないぞ!」
母礼は紫音の笑顔が好きだった。
「これを持って行って!」
紫音は母礼の手をにぎりそれを渡した。
母礼がその手を握り返した
温かかった。
ずっと握っていたかった。
だが時間は過ぎていく。

「これは?」
母礼が不思議そうにそれを見た。
小さな巾着袋のようだ。
「お守りよ!これを離さないで持っていて!」
「それがあなたたちを守る」
「二つあるが…」
紫音がいつもの紫音に戻っていく。
「一つは阿弖流為に渡して!」
紫音はそう言って微笑んだ。
自分でもぎこちないないのは分かっている。
不器用な自分に呆れている。
それでも最後は笑顔で見送りたかった。
あちらこちらですすり泣きが聞こえる。
子供の泣き声が聞こえる。
「絶対に生きて帰って来て!」
紫音は涙を堪えている。
「当たり前だ!」
母礼はかみしめている。
いつも聞いていた紫音の声。
当たり前にあったその声。
それが心にしみる。
「そうか…そういうことか!」
「なに?」
紫音は母礼の変化を感じ取った。
「たったひとつしかないのだな」
そう感じたとき母礼の心が振動した。
「紫音の声も…」
「そうよ…あなたも同じ…」
母礼がそう感じてくれたことがうれしかった。
「絶対に帰って来て!」
紫音の願いはここにいるみんなの願いだ。
「分かった」
母礼の手が紫音の頬に触れる。
紫音はその手を優しく包み込んだ。
「このまま…」
これほど時間が愛おしく感じた事はなかった。
時が流れる。
愛おしい。
瞬間が重なっていく。
「俺は行く!」
母礼の手が離れていく。
頬の温もりが消えていく。
「約束よ!」
紫音は涙を堪えていた。
母礼は馬に乗った。
戦に行く男達は村を出ていった。
悲しみの声が村に響いている。
『大好き…』
言葉の出口で最後の言葉が止まっていた。

続く…