空の宇珠 海の渦 第五話 その二十八 | 空の宇珠 海の渦 

空の宇珠 海の渦 

-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話



阿弖流為は少しの疑念があった。
 
それは、真魚が田村麻呂を知っている事実が分かったからだ。


「お主は、田村麻呂と知り合いなのか?」
 
「田村麻呂が知り合いと言うのなら、あの男も知り合いだぞ!」
 
真魚はさらりと言う。
 

「あの男とは帝のことか!」
 
母礼が声を高めた。
 

「そうだ、ただ知っているだけだ、親しいわけではない…」
 
真魚はそう説明した。
 
倭の密偵だという疑いは晴れてはいない。
 
しかし、真魚の行動から見ればその可能性はきわめて低い。
 

「だいぶ前のことになる、俺が十五歳くらいの時だったかな…」
 
「吉野と言う所で、川で溺れていた奴を助けてやったことがある」
 
「助けてからわかった事なんだが、そのひ弱な奴が皇子だったのだ」
 
「皇子とは帝のか!」

母礼は驚いていた。

「そうだ!」
 
真魚は続けた。

「どうもこっそりと抜け出して川に行き、足を滑らしたらしい…」

「まあ、皇子ならば泳げぬのも仕方あるまい、そう言ってやった」
 
真魚は思い出しながら笑っていた。


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「それから、しばらく二人で話していた。」
 
「何を話したのかは覚えていないが、歳は同じであったな…」
 
「そこに皇子を探しに現れたのが、田村麻呂だ。」
 
「近くに帝も一緒に来ていたのだ」
 
真魚は事情を説明した。
 

「その頃からお主は変わり者だったのだな…」
 
阿弖流為は呆れていた。
 

「その田村麻呂なのだが…」
 
真魚が本題に入ろうとしている。
 

場に緊張感が広がっていく。
 

ここには二人。
 

母礼と阿弖流為しかいない。
 
そして、真魚だ。
 

「出来れば戦などしないほうがよい」
 
真魚が驚きの言葉を発した。
 

「そんなことできるのか?」
 
母礼は驚いている。
 

「それは無理だ!」
 
真魚はきっぱりという。
 

「田村麻呂は帝の命令によって動いている」
 
「この命令に逆らうことは許されない…」
 
「まあ、そういうことになるだろうな…」
 
母礼も戦など出来ればしたくない。
 

「だが、犠牲者を最小限にする方法がある」
 
真魚はそう言った。
 
「あるのか?そんな方法が!」
 
母礼が声を上げる。
 
阿弖流為は黙って聞いていた。
 

「お主ら二人の覚悟が必要だ」
 
「覚悟はしている!」
 
母礼はいつ死んでもいいと思っている。
 

「ならば二人の命を預けろ…」
 
真魚の言葉は二人の常識を超えていた。
 

「俺たちの首を差し出せというのか!」
 
母礼は声を張り上げた。
 

「それで…」
 
「続きがあるのであろう?」
 
阿弖流為は冷静であった。
 

「首は必要ない…」
 
「田村麻呂に委ねてみるのだ!」
 
真魚が言った。
 

「何をだ…」
 
阿弖流為が問う。
 

「蝦夷の未来だ!」
 

真魚の言葉に二人の心は揺らいでいた。


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続く…