阿弖流為は少しの疑念があった。
それは、真魚が田村麻呂を知っている事実が分かったからだ。
「お主は、田村麻呂と知り合いなのか?」
「田村麻呂が知り合いと言うのなら、あの男も知り合いだぞ!」
真魚はさらりと言う。
「あの男とは帝のことか!」
母礼が声を高めた。
「そうだ、ただ知っているだけだ、親しいわけではない…」
真魚はそう説明した。
倭の密偵だという疑いは晴れてはいない。
しかし、真魚の行動から見ればその可能性はきわめて低い。
「だいぶ前のことになる、俺が十五歳くらいの時だったかな…」
「吉野と言う所で、川で溺れていた奴を助けてやったことがある」
「助けてからわかった事なんだが、そのひ弱な奴が皇子だったのだ」
「皇子とは帝のか!」
母礼は驚いていた。
「そうだ!」
真魚は続けた。
「どうもこっそりと抜け出して川に行き、足を滑らしたらしい…」
「まあ、皇子ならば泳げぬのも仕方あるまい、そう言ってやった」
真魚は思い出しながら笑っていた。

「それから、しばらく二人で話していた。」
「何を話したのかは覚えていないが、歳は同じであったな…」
「そこに皇子を探しに現れたのが、田村麻呂だ。」
「近くに帝も一緒に来ていたのだ」
真魚は事情を説明した。
「その頃からお主は変わり者だったのだな…」
阿弖流為は呆れていた。
「その田村麻呂なのだが…」
真魚が本題に入ろうとしている。
場に緊張感が広がっていく。
ここには二人。
母礼と阿弖流為しかいない。
そして、真魚だ。
「出来れば戦などしないほうがよい」
真魚が驚きの言葉を発した。
「そんなことできるのか?」
母礼は驚いている。
「それは無理だ!」
真魚はきっぱりという。
「田村麻呂は帝の命令によって動いている」
「この命令に逆らうことは許されない…」
「まあ、そういうことになるだろうな…」
母礼も戦など出来ればしたくない。
「だが、犠牲者を最小限にする方法がある」
真魚はそう言った。
「あるのか?そんな方法が!」
母礼が声を上げる。
阿弖流為は黙って聞いていた。
「お主ら二人の覚悟が必要だ」
「覚悟はしている!」
母礼はいつ死んでもいいと思っている。
「ならば二人の命を預けろ…」
真魚の言葉は二人の常識を超えていた。
「俺たちの首を差し出せというのか!」
母礼は声を張り上げた。
「それで…」
「続きがあるのであろう?」
阿弖流為は冷静であった。
「首は必要ない…」
「田村麻呂に委ねてみるのだ!」
真魚が言った。
「何をだ…」
阿弖流為が問う。
「蝦夷の未来だ!」
真魚の言葉に二人の心は揺らいでいた。

続く…