空の宇珠 海の渦 第五話 その二 | 空の宇珠 海の渦 

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-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話

 

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峠を登っていた。
 
それほど勾配がきついわけではないが、数万の移動である。
 
そう簡単には進むことが出来ない。
 
武器や食料、運ぶ荷物は膨大である。
 
普段であれば一日9里ほどであろうか。
 
これほどの移動となると7里ほどが限界だったのではないだろうか?
 
真魚達は気づかれぬ様に、距離を取りながら後をついて行った。
 
しかも、軍隊とは名ばかりで兵役の農民がほとんどであろう。
 
「ただの荷物運びか、数あわせか…」
 
にわか作りの軍で戦えるのか真魚には疑問であった。
 
「なあ、真魚よ奴らは一体どこに行くのだ」
 
嵐は退屈であった。
 
「そのうち分かる」
 
真魚はさらりと受け流した。
 
「分かると言い切れるのか?」
 
真魚の言葉が嵐には引っかかった。

「奴に聞くからな」
 
真魚はあっさりと言った。
 
「奴とはあの大将の事か?そんなことをして大丈夫なのか?」
 
嵐は真魚のすることが心配になってきた。
 
「大丈夫だ」
 
真魚ははっきりと断定した。
 
「まあ…お主が言うなら間違いないとは思うが…」
 
嵐は腑に落ちない。 
 
「心配なのか?」
 
真魚は嵐に問う。
 
「そういうわけではない」
 
嵐は分からないだけである。
 
「心配するな、何かあってもあの程度の奴らならどうにでもなる」
 
真魚の言葉は間違っていない。
 
その気になれば嵐一人で十分である。
 
「最近のお主を見ているとだな、何だか危なっかしいのだ」
 
嵐は本気でそう感じていた。
 
「俺は大丈夫だ、お前と青嵐がいるではないか」
 
真魚が言った。
 
「それも、そうだが…」
 
真魚のその言葉が嵐にはうれしく思えた。
 



軍は数日をかけて一山を越えた。
 
平野を抜けるのに数日。
 
さらに数日をかけて、新たな峠を越えなければならなかった。

その峠を下り終えたところで日が暮れ始めた。
 
どうやらこの辺りで野営をするらしい。
 
皆好き勝手に休んでいるようだ。
 
貴族の連中は集まって話しているようあった。

河原の適当な石に座っている。
 
火をおこしている。
 
戦いの地は遙か先であることはそれが示している。
 
戦地で火をおこすことは敵に居場所を教えるようなものである。
 
その火で料理人が簡単な食事も作っているようだった。
 
その中にあの男もいた。
 
身体が他の者よりも頭一つ分も大きい。
 
目が大きく、鼻も高い。
 
口も大きく、眉も濃い。
 
見るからに怖そうな武人という感じだ。
 
しかし、この男が放つ波動は、見かけとは正反対であった。
 
真魚達は気づかれないように山に入り、そこから観察していた。

「あの男か?」
 
嵐がつぶやく。
 
「確かにあの男だけは他の奴らとは格が違うな」
 
嵐はそう付け加えた。
 
真魚は黙っていた。
 
奴らの様子をうかがっていた。
 
ぐ~~~
 
嵐のお腹が鳴った。
 
「すまぬ、お前の腹のことを忘れておったな」
 
そう言うと真魚は腰にぶら下げていた瓢箪を外し栓を抜いた。
 
その小さな口から押し出される様に食べ物が出てきた。
 
その量は瓢箪の何倍もの大きさであった。
 
「うひょ~やっと飯だ!」
 
嵐にとってこのひとときは何よりも大切な時間である。
 
「すまんが少しずつだ」
 
真魚は嵐にそう言った。
 
この先どこまで行くか明らかでない以上、食料は大切なのだ。
 
真魚は一つだけ何かを口にしただけであった。
 
嵐は出された分をきっちりと食べた。
 
「腹一杯でも、少しでも何かを食べられる事はいいことだな」
 
嵐が言った。
 
「お前の口からその言葉が出るとはな…」
 
真魚はそう言って笑った。
 
「俺ではない、兄者だ」
 
嵐がいい訳をする。
 
「青嵐はお前とは違うな」
 
真魚は更に笑った。
 
「何をいうか!俺と兄者は双子だ」
 
嵐が反論を述べるが全く意味をなしていない。
 

真魚は笑っていた。
 
 
 
 
その夜は月が輝いていた。
 
十三夜。
 
あと二日ほどで満月になる。
 
空一面に星の花が咲いている様であった。
 
ほとんどの者が眠りについていた。
 
あの男だけは火の側で石に座っている。
 
考え事をしている様であった。
 
一人で酒を飲んでいた。
 
その時、男が動いた。
 
皆から離れて川の側に歩いて行く。
 
真魚はこの時を待っていた。
 
真魚は嵐と共にこっそりと近づいた。
 
男は川に向かって小用を足していた。
 
真魚はこっそりと近づこうとした。
 
「何の用だ!」
 
その男が背中を向けたまま話しかけてきた。
 
その声は川の流れの音に紛れている。
 
野営の者達には聞こえてはいない。
 
「俺を征夷大将軍、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)と知ってのことか?」
 
その男はあえてそう言った。
 
その言葉には自信がみなぎっている。
 
誰も俺を斬ることなどできない。
 
その背中はそう語っていた。
 
「だったらどうする?」
 
真魚はあっさりそう答える。
 
男は振り向きざまに黒い刀の柄に手をかけた。
 
「丸腰か?」
 
真魚が丸腰であるのを確認してから男は手を柄から離した。


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月明かりだけである。
 
この男は夜目も効く。
 
田村麻呂と名乗る男が真魚を見て言った。
 
「どうやら刺客ではなさそうだな」
 
田村麻呂がそういう。
 
「何故そうだと言い切れる」
 
真魚が問う。
 
「敵意がない」
 
田村麻呂はそう答えた。
 
「ほう、さすがは征夷大将軍と言うだけのことはある」
 
真魚は感心していた。
 
「お主ふざけておるのか?」
 
田村麻呂が得体の知れない真魚のことを嫌っている。
 
「俺を、忘れたのか?」
 
その時…真魚がとんでもない言葉をかけた。


続く…