かごめの歌
かごめかごめ籠の中の鳥はいついつ出やる夜明けの晩に(夜明けの番人)
鶴と亀が(鶴と亀と)滑った(統った)後ろの正面(少年)だあれ
※( )は地方による別の例
まともに歌詞だけ考えると不思議な歌です。
この件については様々な説があるのですが、
他の説は置いておいて、私個人としてはこう考えています。
かごめ = 籠の目 = 六芒星 = 六道 = 輪廻の世界
鶴と亀 = 朱雀と玄武 = 昼と夜 = 光と影 = 陽と陰
籠目の目はエネルギーの波長、つまりエネルギーの強弱。
超ひも理論によるとこの世のあらゆるものは紐であるということである。
エネルギーの高いものは速く細かく震動していると考えられるので、
目に見え無いものがほとんどです。
ゆっくりと震動しているものだけが人間が捉えることができる物質です。
光などは波長の長いものも短いものも人には見えないです。
物質についても同じ事が言えるのかも知れません。
そもそも五感で捉えられるものだけが人にとっての世界です。
見えているようでたかが知れていることでしょうね。
神は自分の身体を使って自分に似せて人を創りました。
神は形のないエネルギー体です。
と、言うことはこの場合の人は魂(人霊)と言うことになります。
人霊もエネルギー体です。
人霊とは神の衣の中に閉じ込められた私たちの意識(エネルギー)だと言えるのです。
そう考えると神は常に人と共にあるという考えにも納得できます。
神は私たちと常に体験を共有している事になります。
ここまで書くと私と同じ考えの方は気づいていると思います。
籠の中の鳥がそこから出ると言うことは、神の衣を抜けるということです。
エネルギーが高くなれば細かく振動します。
低いエネルギーの籠の目から抜ける事が出来ます。
籠の目を抜けることは輪廻の輪から抜けることです。
即ち『解脱』を意味しているのです。
私なりに解釈をしてみますすと…
『輪廻の中に閉じ込められた魂はいつそこから抜けられるのだろうか?
それは魂のエネルギーが神の衣(魂の器のエネルギー量)を超えたとき。
心の器にある陰と陽のエネルギーがひとつになるよ。(魂が解き放たれる)
後ろをみてごらんそこには神がいるよ。』
こんな感じでしょうか?
簡単に言うと魂のエネルギーピッチが
神の衣のそれよりも細かくなれば抜けられるということです。
考えれば当たり前のことです。
エネルギーレベルが神と同等かそれ以上なのですから。
仏教では悟りを開いたものが解脱を許されるようですが、
エネルギーレベルでどうなのかという一つの考え方です。
エネルギーレベルを上げる方法としてはいろいろあるのでしょうけでれど、
それはまた次の機会に…。
あくまで個人的な解釈ですので、誤解のないようにおねがいします。