ゆるんでひらくわたしのメロディー♪
こころもからだもほっこりゆるむと自然体のわたしが現れる♡
自然体のわたしはよろこびを放射する♡
フンティ&布ナプキン 宙のhitotsubu
こちらのつづき♡
「恐れベース」か、
「信頼ベース」か、
で人の言動はまったく違うものになる。
なぜ遠慮をするのか?というと、恐いからだ。
遠慮なく好きなように言動したら、相手を傷つけ、嫌われるかもしれない。
嫌われてひとりぼっちになるかもしれない。
だから、そうならないように慎重にやろう。
波風立てないように、飲み込もう。溜めとこう。
私の思考のベースはこれだった。
今は、「信頼ベース」で考えることにした
好きなように言動しても、大丈夫。
そのとき相手の捉え方によって、相手が不快になることがあっても、相手はそれを自分の栄養にすることができるはず。
私自身が落ち込むことになっても、それもちゃんと超えられる。
だから、大丈夫
「恐れベース」のまま、遠慮しない!とやってみると、苦しい。
だって、恐いんだもん。
恐いのをむりして、ゴリ押ししてるんだもん。
そりゃ、すぐに感情にのまれてしまう。
遠慮のことだけでなく、なにかモヤモヤするときは、恐れベースからの思考がもとになっていることが多いと感じます。
どんなことでも、なにかを「失う恐さ」が共通していると思う。
それは、「信頼を失う恐さ」のように思います。
お金のこと、仕事のこと、健康のことも、すべて。
人からの信頼は、自分にはわからないけど、自分ですべてを信頼するのは、自分次第。
いつだって、信頼する、と思えばいい。
それなら信頼は失うものではなくなる
自分にも人にも、なにごとも乗り越えたり糧にしたりする力があるのだ、と思える世界は深い呼吸ができる
信頼をベースにしていると、遠慮(守り)にエネルギーを使わなくなって、のびのびできる
この記事↑に書いた「カラッとした販売」も、遠慮がないから買おうと思ったんだ
相手に遠慮がなければ、いらない、も言いやすい。
相手に遠慮を感じないということは、きっと相手も私を信頼してみてくれているからだ。
私のことを、「自分の意思で選択できる人」としてみてくれているからだ
もし遠慮があったなら、その人は私のことを「押しに流される弱い人で、流されることで不快な気持ちになるけれど、それをどうにもできない人」(言い過ぎか?!笑)と思ってみているということかもしれない。
そして、その人もまた自分をそういう人だとみているんだと思う。
そんなエネルギーを感じたら、買わないよね😂
最初からほしいものではなかったんだから。
遠慮系の話はほかにもあるので、また書きます♪
だれもいない朝の浜辺
いつも透き通っているね♡
2回目の海水♡
自分の意思に気づく
心と体と仲良くなるフンティと布ナプキン
あります