〜 日本の正当性を戦渦の硫黄島から訴えた軍人‼️ 〜

ルーズベルト大統領に与ふる書を万歳突撃の前に認めた市丸中将の歴史観、愛国心、正義感には敬服の一言に尽きます。

日本軍人は凄かったと思わざるを得ませんが、戦前の教育を受けた日本人は当たり前でもあった気がします。

出光興産創業者の出光佐三も昭和天皇の終戦の詔勅を聞いて「玉音を拝して」と題しての約7,000字の社員への訓示原稿をたった一日で認めています。
この原稿も市丸中将と愛国心溢れる同じ歴史観です。

日本の教育は凄かったの一言に尽きます。

先日、佐賀県唐津市内の市丸中将のご遺族のお宅を訪問してきました。

現在、孫の誠さんが墓守をされています。
お宅では市丸中将が愛用された軍刀(2振)と短剣を拝見させて頂きました。

軍刀の一つは硫黄島に持参し万歳突撃時に使用された軍刀です。

硫黄島でアメリカ兵が持ち帰ったものが、骨董屋て売られており、同じく硫黄島の決戦に従軍した大学教授が購入したものです。

この軍刀は市丸中将が昭和17年南方で戦闘機に搭乗中、敵からの攻撃を受け被弾、刀先が破損したものです。

これを修理し短くなったのを硫黄島に携行されました。
この軍刀の修理跡と軍刀の銘(藤原忠廣)から市丸中将のものと判明、アメリカ人教授から遺族に戻されたという美談があります。

今回、市丸家に残された遺品や写真を拝見させて頂きました。

また唐津市内の菩提寺に市丸家のお墓にもお参りしてきました。

市丸中将の戒名は衛空院殉護智忠柏邨日義居士でした。

日本の立派な軍人を讃え顕彰していかなくてはなりません。

「英霊は二度死なせてはなりません‼️」


唐津城


市丸利ノ助中将




修理された刃先


市丸中将の戒名、衛空院殉護智忠柏邨日義居士(唐津市坊主町の大乗寺)


硫黄島での最後の勇姿


家族写真


愛機の前の市丸中将


仏壇の前で孫の市丸 誠さんとのツーショット


市丸利ノ助中将の軍刀