昨日は恒例の世田谷観音の月次祭に参列してきました。

毎月18日の月次祭は、大東亜戦争で散華された特攻将兵、約4,000柱に感謝をする慰霊の集いですが、今回も10数名程の方が集まり、心のこもった法要ができました。

残念ながら参列されるご遺族の方は、毎年少なくなっていますが、昨日は、FBFの東風梅子さんがご遺族として初めて参列して戴きました。

東風さんの伯父さんは、海軍兵学校72期の海軍中尉でしたが、沖縄慶良間諸島のアメリカ軍艦船へ特攻され散華されました。

昨日のご遺族はもう一人、兄上が特攻で散華された獣医師の広島先生(92歳)のお二人でした。

他はご遺族ではないですが、特攻将兵に心を惹かれ慰霊・顕彰をされている千葉県松戸の熟年のご夫婦、特攻将兵の演劇を手掛けおられる女性プロジューサー、世田谷観音の近くに住む若い女性4名が初めて参列されました。

【英霊を二度死なせてはならない‼️】と声を上げていますが、輪が広がっていくようで嬉しくか感じました。

昨日、自分が月刊誌「日本」(日本学協会:平泉  澄先生が創設)に投稿した記事の抜粋版を世田谷観音の大和尚さんに差し上げたところ、お返しに父母恩重経を戴きました。

このお経については、お母さんは子供を死ぬ思いで産んで一旦亡くなるのですが、子供の産声を聞いて、子供を育てなければと我に返り、生き返るのだというようなら内容が謳われていると聞いていました。

帰りの電車の中読んでみると親の恩ほど大きなものはない、親に孝行するのが人の道であると書かれていました。
(浅学な自分の解釈ですが(苦笑))

ふと特攻隊員はどの様な想いで出撃され、最後にどのような言葉を発っせられたのかと考えてみました。

「天皇陛下万歳」も口にされたかも知れませんが、最後は「お母さん」と叫ばれたと、この父母恩重経を読んで確信しました。

特攻兵にとって、一番大切なお母さんを守るため、家族を守るために突撃されたのです。

特攻将兵の一人ひとりの想いが結集した力が国を守る力となったのだと確信しました。

なにか清々しい気分で家路を急ぎました。