【沖縄を守ろうと出撃した英霊への感謝の誠を捧げよう‼️】
〜 特攻兵たちは、慶良間諸島の綺麗な珊瑚礁の海を愛でる事なく、敵艦隊に挑んだのです‼️〜

沖縄戦では多数の将兵が慶良間諸島の海で散華されました。

慶良間諸島の海は、当時と変わらない美しい光景を見せてくれています。
この海が75年前に日米決戦の舞台となったことなど、微塵も感じさせない綺麗なサンゴ礁が広がっています。
 
日本人は沖縄に出撃した全国の若者のことを忘れてはなりません。
彼らのお陰で日本の平和が維持出来ているのを
忘れ、憲法9条によって守られていると勘違いしている人があまりにも多くなっています。

歴史を風化させてはなりません。沖縄戦を語り継がなければなりません‼️
 
昨日に引き続いて沖縄戦で特攻出撃した方の遺書を紹介します。

昨日は、海軍常盤忠華隊の中西達二中尉の遺書を紹介しましたが、中西中尉の姪御さんがFBFの東風梅子さんです。

東風さんは、伯父様の慰霊と顕彰に尽力されています。毎年のように串良基地の慰霊祭、沖縄に慰霊に出掛けておられます。

昨日紹介した遺書には中西中尉の山口中学の1年先輩であり、知己の間柄の滝本少尉が同じ常盤忠華隊の隊員として出撃されたと記されてあり驚きました。

山口県のご近所同士の若者が海軍で巡り会い、同じ特攻部隊で沖縄に出撃されたのです。

中西中尉は海軍兵学校出身の軍人、滝本少尉は幹部候補生であり、階級は中西中尉が逆転した形ですが、同じ山口県人として沖縄を守るために出撃されたと思うと胸が詰まります。

沖縄の方たちにはこの若者たちの事を忘れて欲しくありません。
 
今日紹介する遺書は荒木伍長、奥山大尉のお二人です。

英霊を二度死なせてはなりません‼️
 
【陸軍特別攻撃隊第72振武隊員、子犬を抱いた少年兵」荒木幸雄命の遺書】
〜昭和20年5月27日鹿児島万世基地から出撃〜

『最后の便り致します
其後御元気の事と思ひます。
幸雄も栄ある任務をおび本日出発致します。
必ず大戦果を挙げます。
桜咲く九段で会う日を待って居ります。
どうぞ御身体を大切に、弟達及隣組の皆様にも宜敷く さようなら』

【義烈空挺隊隊長 奥山道郎命 遺書】
  〜 昭和20年5月24日熊本健軍基地から出撃〜

『昭和二十年五月二十二日�此の度、義烈空挺隊長を拝命。�御垣の守りとして敵航空基地に突撃致します。�絶好の死場所を得た私は日本一の幸福者であります。
只々感謝感激の外ありません。�幼年学校入校以来十二年、諸上司の御訓誡も今日の為のように思はれます。�必成以て御恩の万分の一に報ゆる覚悟であります。�拝顔お別れ出来ませんでしたが道郎は喜び勇んで征きます。�二十有六年親不孝を深く御詫び致します。 道郎�                 御母上様」
 義烈空挺隊、陸軍特別攻撃隊第72振武隊、常盤忠華隊

 中西中尉(左)と滝本少尉の山口中学出身のお二人

 美しい慶良間諸島の珊瑚礁

 那覇空港からの慶良間諸島の眺め

 荒木幸雄伍長のお墓(左の白い墓が荒木幸雄伍長の墓石)