【沖縄県 糸満市の魂魄の塔(こんぱくのとう)と平和の礎(へいわのいしじ)】
〜 知らない人が多い真の霊場『魂魄の塔』‼️ 〜

沖縄県平和祈念公園にある『平和の礎』は魂魄の塔に倣って平成7年に建てられたら未だ新しいものです。
この平和の礎は沖縄戦での戰歿者の名前が刻まれているので、また、後から建立された広大な公園内にあり、多くの人は魂魄の塔の存在を知りません。

平和の礎の横で、毎年沖縄県の慰霊祭が開催される為、『魂魄の塔』の影が薄くなっていますが、この塔が本家本元であり、その証拠が昭和21年2月建立となっています。

『魂魄の塔』の碑文には、沖縄戦終結間もない昭和20年2月、島尻郡真和志村の住民によって建てられたとあります。

真和志村は激戦地で、多くの戦死者の死体が野晒しになっていた為、憐んだ村民たちが、遺体を収容して、この地で荼毘に伏されそうです。

周辺に散乱していた戦死者の数は3万5千余もあったそうです。
身元が分からない状態であり、遺骨は合葬され納められています。
所謂、無縁仏の集合墓であり、戦死者の霊地は『魂魄の塔』なのです。

一方、平和の礎は、沖縄戦の全戰歿者24万余の名が刻銘されており、敵味方関係なく祀るとの考えでアメリカ兵の名前を刻んでいます。

今回、沖縄県那覇市在住の奥 茂治さんと偶然、早朝の平和祈念公園の駐車場でお会い出来たお陰で、多くのことを教えて戴き、この『魂魄の塔』まで案内して戴きました。

早起きは三文の徳でした。(笑)

また、奥さんには平和祈念公園の『黎明の塔」にも案内戴き、牛島 満中将の最期の様子についてもお聞かせ戴きました。

奥さんは先日105歳で逝去された「伊波ナベ」さんから牛島中将の最期についての詳細の話を聞かれています。

牛島中将率いる32軍には将兵だけでなく軍の事務や内務係の女性も所属しており、「伊波ナベ」さんもその一人で、牛島中将の世話係りだったそうです。

黎明の塔の32軍の墓碑には牛島中将以下の将兵だけでなく、軍で仕事をしていた散華された女性の方の名前も刻まれていました。

『戦争は二度起こしてはならない‼️しかし国を守る軍隊は必要である‼️」と父は繰り返していました。
戦争は悲惨なことは幾多の戦闘で経験したから言い切れたのだと思います。

また、昨今の中国の我が物顔的な尖閣列島周辺の領海侵犯は抑止力となる軍隊がないことの現れであることに気づかなければなりません。

今の専守防衛の自衛隊では、尖閣列島に中国が上陸しても何も手出しが出来ず、竹島のようになるのは必至です。

お花畑のツチガエルをいつまで演じているのか⁉️

『ウシガエル』は海岸の岩壁を今にも登ろうとしています。

日本人は目覚めなければなりません‼️

沖縄への慰霊の旅で改めて軍隊の必要性を感じました。

最後に皆さんにお願いです。
「平和の礎」は祈念碑であり、沖縄に行かれた時は、必ず『魂魄の塔』にも必ずお参り戴きたいと願っています。
 『魂魄の塔』

 『魂魄の塔』の碑文

 『魂魄の塔』の祭壇の前にて

 摩文仁の丘の平和の礎