【靖國会、沼山光洋前事務局長の一年祭】
〜 天皇陛下の御親拝実現を目指した沼山光洋命の生涯 〜
昭和天皇が昭和50年11月21日に御親拝あそばれて以来、近隣三国の不当干渉により御親拝ができなくなって45年も経ってしまいました。
当時の首相三木武夫の「私人参拝」発言により、反日日本人による天皇陛下の戦争責任の追求が再燃した為、御親拝が見送られるようになりました。
昭和天皇におかれては無念であったと思われますが、それ以降、中曽根元首相が中国の内政干渉に屈したことにより、完全に御親拝は出来ない状況を作りだされてしまいました。
御親拝が賜われなくなった原因をつくったのは三木武夫、中曽根康弘と言っても過言ではありません。
二人の元首相が、靖國神社の英霊を正しく理解し、正しく行動しておれば、45年も御親拝が途絶えることにはならなかったのです。
上皇陛下いたっては、一度も御親拝戴くことは叶いませんでした。
英霊にとっても、こんな理不尽のことはありません。
極寒の地や灼熱の南の地で、国の為、家族の為に若き命を捧げた将兵は、天皇陛下の命により戦場に赴かれたのです。
また、散華したら靖國神社に英霊として国の誉として祀られることを、家族や戦友と誓いあい、また期待して勇猛果敢に戦われたのです。
いわば天皇陛下との契りの証なるものが靖國神社です。
また、同期の桜を歌って英霊たちは靖國神社での再会を誓いあったのです。
英霊の心の故郷が、靖國神社なのです。
歌詞の一節を記します。
貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう
その靖國神社に天皇陛下の御親拝を賜う為に、東奔西走されていたのが、靖國会 沼山光洋命でした。
昨年の5月11日の深夜に靖國神社に接する道路上で、靖國神社御親拝を賜うことが叶えなかった責任を感じ自刃されました。
自分は、昨年4月末に靖國神社社務所に行った折、偶然、参集殿前で沼山光洋命にお会いし、いつものように時候の挨拶したので、自刃されたことが信じられませんでした。
(その時、沼山光洋命は参拝者への車椅子ボランティア中でした。)
自分は沼山光洋命とは靖國会の催しに参加させて戴いていたので、親しくさせて戴いていました。
自刃の報を受け、翌日その現場に赴き、冥福をお祈りしましたが、沼山光洋命の御親拝に対する強い思いを知り、自分も御親拝実現を強く願うようになりました。
日本人は、靖國神社に祀られている英霊を忘れてはなりません。
また、英霊の心の拠り所であった天皇陛下の御親拝を再び実現することが責務でもあります。
今日、一年祭を迎え、沼山光洋命を偲ぶ為に靖國神社に参拝して来ました。
自刃の現場には、有志の方により献花がされており、自分も現場の祭壇前に佇み、沼山光洋命の冥福をお祈りしてきました。
今年は武漢肺炎禍で靖國神社に参拝されている方は殆どおられませんでした。(添付写真)
「皆の力で打ち克ちましょう」と横断幕が鳥居に掲示されていましたが、参拝者が来られない今の実態を、英霊も悲しんでおられるに違いありません。
また、今年7月の恒例の「みたま祭」も中止が決定したと靖國神社の職員の方から聞きました。









