【戦後75年の慰霊祭の実態‼️】
〜 世代交代で引き継がれない先人の偉業 〜

昨日に続いて、レイテ島で玉砕した岐阜の第26師団独歩12連隊(泉5315部隊)について書き込みをします。

春のお彼岸の昨日、岐阜駅前にある織田信長の金の立像に迎えられ、タクシーで大門町にある圓龍寺を目指しました。

昨年、大阪府堺市にお住まいのレイテ戦の研究家である重松正一さんに教えて戴き、初めて慰霊祭に参列させて頂きました。

この慰霊祭は、以前は遺族会が中心となって催されていたそうですが、50回忌を区切りとして遺族会としてではなく、圓龍寺の行事として開催されるようになったそうです。

そうなると次第に参列者の数は減っていくのは仕方ありません。

最近の戦友会なども引継ぐ方がおらず、管理できない慰霊碑などは、朽ち果てるしかありません。

幸い独歩12連隊の慰霊碑は、お寺の中にあるため、参列者があろうと無かろうが、春と秋のお彼岸には法要をして戴いているようです。

有り難い事であり、伯父(故西田準ニ陸軍伍長)はじめ独歩12連隊で散華された英霊の永代供養を今後も催して戴けるのです。

残念ながら昨日の参列者は、中国ウィルスの影響もあり、自分を含めて、たったの3家族でした。(7名が参列)

しかし、考えてみると世代が替わるとご先祖様として各ご遺族の関係が希薄になっているような気がします。
まして戦場に赴いたのは若者中心であり独身者が多かったように思われます。

戦後の日本は、アメリカにより、日本独自の長子相続制を破壊され、遺族の家々で手厚く法事の営みができない方向に誘導されてしまったと感じています。

それを補完する為に、各都道府県の護国神社で慰霊祭がおこなわれていますが、護国神社での慰霊祭の参列者も年々少なくなっており、寂しい思いをしています。

アメリカによる日本解体政策は、国のために散華された英霊を正しくお祀りできなくしてしまっています。

国内外にある慰霊碑、顕彰碑、記念碑を永代供養できる仕組みの構築が必要です。

そんなことを考えながら、岐阜の圓龍寺をあとにしました。