【宮崎県川南護国神社秋季大祭】(毎年11月23日)
〜 陸軍落下傘部隊の発祥地、川南町唐瀬原‼️ 〜

今年7月、旧陸軍落下傘部隊に所属、戦後は陸上自衛隊第一空挺団に勤務された田中賢一さんが逝去された。(100歳の大往生でした。)
 
田中さんは陸士52期生、落下傘部隊の練習部所属や空挺戦車部隊に所属、実戦の経験はないが、自衛隊退職後に聞き取り情報をもとに多くの書籍を上梓されました。
(田中さんは元陸軍少佐、自衛隊では陸将補)
 所謂、落下傘部隊の生き字引的存在でした。

生前、亡き父もパレンバン作戦の全容を田中さんに都度レクチャーしていたようです。
その田中さんの手記(小冊子)に「川南護国神社建立と高野山「空」の墓建碑」というのがあります。

川南護国神社とは宮崎県児湯郡川南町のことであり、この地の唐瀬原は陸軍落下傘部隊発祥の地とされている。(正確には落下傘部隊練習部が発足した地の浜松かもしれない。)
何れにせよ、この地で陸軍落下傘部隊は猛訓練を積んだことは間違いありません。
 
田中さんお手記によると、昭和19年にこの唐瀬原の一角に挺進神社というものが建立され、落下傘部隊の戦死者や殉職者をお祀りしてあったそうです。
 
終戦後は、宮崎師範学校の一角になり、師範学校の生徒や職員で維持管理されていましたが、昭和21年夏にこの神社が焼き討ちにあったのです。

犯人はアメリカ進駐軍、「学校に神社があるのはおかしい!」との理由からです。

戦後はのアメリカ占領政策は「神道」廃止が方針であり、その一環で焼き払われたようです。
 
下の写真の上段右が当時の挺進神社です。
この宮崎県川南町は約12,000名の落下傘部隊将兵が居住しており、宿舎が足りず近隣の農家に下宿する将兵が沢山おり、地元の人たちと落下傘部隊の絆が深まっていったそうです。
 
その後、焼き討ちにあった挺進神社を地元に人たちと元落下傘部隊の兵隊たちが協力して再建することになり、昭和24年3月に建立されたと田中さんの手記には記されてあります。
(現在の本殿は再度造営されたものです。)
 
今でも毎年11月23日には、川南護国神社では川南町の町長が祭主となり、地元に人たち、旧陸軍落下傘部隊の流れを受け継ぐ陸上自衛隊第一空挺団関係者、ご遺族が参列して盛大に執り行われています。
 
落下傘部隊と地元の人たちの強い繋がりがあったから、未だに引き継がれている伝統行事となっています。

機会があれば、是非、川南護国神社にお詣り戴ければ、英霊も喜ばれるに違いありません。