日本書紀 巻第二 神代下 第九段(葦原中国平定・天孫降臨)
一云「二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。 故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。」
一説には、「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神香香背男かがせおのみとなった。 そこで倭文神は建葉槌命たけはづちを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」
一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。 時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。」是時、齋主神、號齋之大人、此神今在于東国檝取之地也。
ある書では、天津神はフツヌシとタケミカヅチを派遣し、葦原中国を平定させようとした。 その時、二神は「天に悪い神がいます。名をアマツミカボシ、またの名をアメノカガセオといいます。どうか、まずこの神を誅伐し、その後に降って葦原中国を治めさせていただきたい。」と言った。この時の齋主いわいの神を齋之大人いわいのぬしといいました。この神は現在、東国の檝取かとりの地に在ります。
香香背男 かがせお 香香は、「炫(かが)やく」=「輝く」を意味する。
甕星神 みかぼし 平田篤胤は、「みか」は「厳(いか)」であり、一番光り輝く星、「金星」を指すという。
どちらも明るく光り輝く星の神である。
倭文神 しとりがみ 倭文は、しずり、しとおり、とも呼ばれ、機織りの神である。
『古語拾遺』は、「天羽槌雄神あめのはづちのおのかみ(倭文の遠祖なり)をして文布しずを織らしめ、天棚機姫神あめのたなばたひめのかみをして神衣かむみそを織らしむ」と、天岩戸神話で、男女の機織り神が天照大御神に、とても美しい織物を奉納したことを記す。
倭文は麻や栲を、横糸を青や赤い色に染めてから乱れ織りにした布で、日本古来のものであったので「倭」の文字を用い、倭文を織る職業氏族(倭文氏)をも意味し「しとり」、とも言う。
美しい織物は古代において、神さまへの神饌の中で最高品の一つであった。
静神社 (茨城県那珂市静) 主祭神 建葉槌命 名は倭文神。
常陸国風土記久慈郡条に「郡西口里氏静織里、上古之時、未識織綾之機、因名之」と、
初めて倭文を織る機が使われたことから、静織しどりの里と名付けられたと記す。
建葉槌命は、もともと境内社 高房社に祀られていた。
石井神社(茨城県笠間市石井) 祭神は建葉槌命
社伝『倭文神健葉槌命縁記』によると、香香背男が飛び散った場所であり、甕星神を鎮めるために神社が建てられたという。
大甕神社(茨城県日立市大みか) 祭神は建葉槌命 地主神 甕星香々背男
社伝によれば、大甕山に甕星香香背男(天津甕星)が居を構えて東国を支配したという。
鹿島神宮 摂社 高房社 祭神 建葉槌神
神宮は、「武甕槌大神の葦原中国平定に最後まで服従しなかった天香香背男を抑えるのに大きく貢献した建葉槌神が御祭神です。古くから、まず当社を参拝してから本宮を参拝する習わしがあります。」という。
古事記と常陸国風土記には、天香香背男と天津甕星の記載はない。