皇極・斉明天皇(たから・宝女王 諱 中津王)、和風諡号 天豊財重日足姫天皇あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと

父 茅渟王、母 吉備姫王(諱 吉備島皇祖母命)。両親ともに天皇の子ではない。     

 

                                

 

夫の舒明天皇(田村王子) 和風諡号 息長足日広額天皇                                    

父 押坂彦人大兄皇子、母 糠手姫皇女(宝王・田村王、諱 嶋皇祖母命)。                 

古事記では、糠手姫皇女は舒明天皇のほか、中津王・多良王を生むと記す。

日本書紀斉明紀
「天豊財重日足姫天皇、初適於橘豊日天皇之孫高向王而生漢皇子、後適於息長足日廣額天皇而生二男一女、二年立爲皇后、見息長足日廣額天皇紀。」
斉明天皇は、初めに橘豊日天皇(用明天皇)の孫の高向王と結婚して漢皇子を産んだとあるが、この一文以外に高向王の記録はなく、出自不明の人物である。


日本書紀敏達紀 

「五年春三月己卯朔戊子、有司請立皇后、詔立豊御食炊屋姫尊、爲皇后。是生二男五女、其一曰菟道貝鮹皇女更名、菟道磯津貝皇女也、是嫁於東宮聖德、其二曰竹田皇子、其三曰小墾田皇女、是嫁於彦人大兄皇子、其四曰鸕鷀守皇女更名、輕守皇女、其五曰尾張皇子、其六曰田眼皇女是嫁於息長足日廣額天皇、其七曰櫻井弓張皇女。」

 

敏達天皇は豊御食炊屋姫尊(推古天皇)を皇后とする。5人の男と2人の女が生まれた。

(中略)6人目は田眼皇女息長足日廣額(舒明)天皇に嫁ぐ。

舒明紀に「立寶皇女爲皇后」、宝皇女を皇后とするとあるが、田眼皇女の記述がない。

敏達・推古両天皇の皇女を差し置き、敏達皇曾孫にしか過ぎず、かつ再婚である宝皇女の立后は、後世に付与の可能性が高い。

日本書紀は「寶皇女」としているが、後年の改称であり、本来は「寶女王」である。