サイレント-ブレス | soralibro

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通勤時の読書の備忘録です。

以前から気になっていた本で半年ほど前に購入したものの、小説と同じ病気になっているので何となく落ち込むかもと思い、なかなか読めませんでした。重い腰を引き上げてやっと読めました。
 
南杏子「サイレント・ブレス 看取りのカルテ」

新宿医科大学病院に10年勤めた水戸倫子は三鷹の訪問クリニックへの異動を命じられた。左遷されたと暗い気持ちで行ったクリニックはマンションの1室にあり、在宅で最後を迎える患者のための訪問クリニックだった。優秀な事務員亀井さん、茶髪の明るい看護師コースケとともに様々な患者に出会い、人生の最後の日々を託してくれる患者を看取りながら自分が医師として進む道が見えてくる。
 
6つの話からなっています。
1つめは末期がんの綾子は新薬の治験や治療をすべて拒否して死ぬために弟夫婦の住む自宅に戻っていた。タバコを吸い辛辣な言葉を投げかけ、外泊などする綾子に戸惑いながらも往診を続けるうちに少しずつ信頼されるようになっていく。死ぬためといいながら人生の最後を生きるために自宅に戻ったのではないか、と綾子を看取りながら思う倫子だった。
2つめは筋ジストロフィーの17歳の少年天野保は母と二人暮しだった。母親は仕事の掛け持ちでほとんど家におらず、ヘルパーにまかせきりだったが保は病状が悪くなっても入院を拒否していた。コンサートに出かけたり自分の介護ボランティアを募集したりと精力的に活動していた保だが唐突に死が訪れる。
3つめは老衰で穏やかな死を願っていた母親のもとに急に帰ってきた長男は胃ろうを強固に勧め、一緒に暮らしていた長女が止めるのも聞かず母親は胃ろうの手術を受けた。長男の勝手な行動により母親は苦しみながら死ぬことになった。
4つめは少し系統が違います。高尾山で倒れていた少女を土産物屋の夫婦が助けたが少女は言葉を話さなかった。心臓が少し弱いが身体に問題のない少女は夫婦になついていたが、突然姿を消してしまう。
5つめは末期の膵臓癌になった大学病院のスーパードクター権堂勲はすべての治療を拒否して退院してしまう。研修医時代権堂の前で失敗したことのある倫子は恐れながら在宅診療に向かうと、やりたいことができた、という権堂から最低限の診療を任される。やりたいことを終えた権堂は倫子に「君は間違っていない」と言って息を引き取る。
最後はクリニックで働いて2年たった倫子は、脳梗塞で寝たきりの自分の父親の看取りを決意する。施設にいた父親を自宅に引取り、母親とともに在宅看護をしながら、父親を自然な死に向かわせる。
 
とても暗くなりそうな話ばかりでしたが、淡々と綴られていく文章に共感こそすれ、暗くなったり落ち込んだりということなく読み進めることができました。逆に読み終えてやわらかな気持ちになりました。
医師は、特に大学病院など大きな病院の医師は病気を治すことが仕事で治せなければ負け、治療によって一人でも多くの患者を救うことが医者の使命と考えている。倫子もそうだった。でも人は必ず死ぬ。死は負けではない。死までの最後の時間をどう過ごすか、どう死んでいくか、それもまた患者が選択でき、医師はそれに沿った医療を提供すべきだ。
患者自身が治療はもういい、と言っても家族はなかなか納得できないものです。倫子も自身の父親のこととなると踏み切るのに時間がかかりました。
死が近づいている者にとっては、どう生きるか、どう死んでいくか、それは同じことのように思います。苦しみや痛みが少なく穏やかに死を迎える手助けをすることもまた医療だということが当たり前になってくれれば、と思います。
気になったのは、倫子が鈍感というか、勘が悪いということ。患者の周囲の環境や患者の考えを週一回の会議で話を聞くだけの教授がすぐに気づくのに、もちろん読んでいるこちらもすぐにわかるのに倫子は教授から指摘されるまで全く気が付かない。そんなので大丈夫?と思ってしまいました。そういう設定だったのかもしれません。