本川小学校 平和資料館。
ガイド予約がある日は早めに資料館に行きます。
資料館に入り「こんにちわ~!今日もよろしくね。」
と声を掛けます。
原爆が投下された当時、戦争が激しくなってきた為
3年生から6年生の多くは
疎開し、学校へは通っていませんでした。
(居森清子さんは父親が「死ぬときはみんな一緒だ」
と言われ、疎開していませんでした。)
ですから、ここで亡くなった児童の多くは1.2年生の
まだ幼い子どもたちでした。
ガイドといっても ただ建物や展示物の説明をするだけでなく
いわゆる「語り部」的に被爆者の方の色々なお話し
私の母の被爆体験などもお話しします。
これまで何百回とお話ししてきましたが
慣れるという事はありません。
毎回 それなりに緊張します。
「ちゃんと伝わるだろうか・・上手く伝えらればいいな・・」
話の内容は原爆に関するお話しですが
その内容に関わらず、
かの戦争で亡くなられた方々、
戦争によって悲しい思いをされた方々の想いを
私の言葉(波動)に乗せて一緒に届けられるよう心してます。
でも
見学者は多い時は120~130人の団体で来られます。
だから私はいつも、ここで亡くなった子どもたちに
「みんなの想いが届くように一緒に伝えてね。手伝ってね。」
とお願いします。
ある時
「平和・・・〇△※」とかの
肩書き(役名?)をお持ちの広島の方数名が
他県から同じような平和関係に携わる
数十名の方々を引率し、見学に来られました。
ひと通りお話しや説明を終わり
「何かご質問ありますか?」と私。
引率広島の数名の方が
「あのう・・こんなことお聞きしてあれなんですけど・・・」
と、とても神妙な面持ちで来られました。
「ここ、あの・・霊的な・・
あの・・不思議なことってありますか?」
・・・・はあ???(*_*)と思いつつ・・
「ああ、それはもちろんありますよ。」と冷静にお答えすると・・
「ええっ?やっつぱり!」
「やっぱりあるんだね~。〇〇の所もあるっていってたよね~」
「そうそう、」
「やっぱり出るのよね~(。>0<。)」
・・・・・( ̄_ ̄ i)・・・・
・・・・・質問はこれのみでした・・・・。
質問者は修学旅行生ではありません。
立派な肩書きをお持ちの
立派な お・と・な です。
それがどうした?
だからなんなだ!!
やんちゃの子、おとなしい子、すこしおませな女の子、
私にとっては
亡くなった子どもたちも、今、学校に通ってる子どもたちも
みんな同じです。
お化け扱いされて
なんだか、とっても悲しい気持ちになりました。
見えなかったかもしれないけど
そんな質問されてるすぐそばに
たくさんの子どもたちがいましたよ。
「ここはね!
ここは、お化け屋敷じゃないぞ」
って、言ってたの
聞こえませんでしたか?