わたしは幼いころから学ぶことが好きだった。
中学生になって、試験などでそれなりの成績が取れるようになったわたしは、
勉強の成績が良くなれば、自分の人生の選択肢が広がると信じて、さらに勉学に励んだ。
ところが、実際はそういう風には事が運ばず、ヤキモキする思春期を過ごすことになった。
わたしの学校での成績が良いことは、
親も当然よろこんだ。
わたしの両親は高卒で就職していたので、わたしが大学進学することを期待した。
そんな「親の期待」が次第にわたしを苦しめることになった。
このあたりの話は、以下の「わたしの大学受験シリーズ」にまとめてある。
自分の人生の選択肢を広げるために勉学に励んできたのに、実際のわたしには数少ない選択肢しか与えられなかった。
「自宅から通える国公立大学に行ってほしい」
親のそんな言葉に縛られたせいだった。
成長した今であれば、わたしにはその選択肢以外にも、たくさんの選択肢があったことがわかる。
今のわたしであれば、親を説得して、自分が望む道を歩むこともできると思う。
しかし、18歳当時のわたしには、そんな力はなかった。
支配(コントロール)は、支配されるものを無力にする。
無力感を植え付けられた人は、支配者に抵抗する力を失っていく。
支配者の言いなりになるしか、自分には道がないと思いこんでしまうのだ。
親が子を支配する構図は、ちまたに溢れているけれど、だからこそ恐ろしく思う。
親の力がなければ生きていけないと、子どもたちは思いこまされている。
そのことにより、子は親の言いなりで生きるようになってしまう。
もし、うまれたときから、子には子の独立した権利が社会から保障されていたら、
今起きている親子問題の多くは解決してしまうかもしれないとさえ思う。
話が大きくなりすぎたので、すこし戻そう。
18歳当時のわたしは、
ほんの少しだけ親に抵抗し、
親が望んだ「地元の国公立大学」ではなく、
当時の彼と一緒に通える「地元の私立大学」に進学した。
わたし自身は、その選択のおかげで、楽しい大学生活を送れはしたのだが、
私立大学に通ったことで増大した学費について、親からしばらくの間ネチネチ言われることになった。
自分自身が親となった今は、当時の親の気持ちがよくわかるが、まだ子どもだったわたしは、そんな親を憎々しく思っていた。
進学したのが地方の私立大学ということもあってか、学費のことで苦労している友人があまりいない環境だったことも大きい。
まわりの友人たちは、親が当たり前に学費を払ってくれているように見えた。(実際のところはわからないが)
だから、当時のわたしは、親から学費のことで嫌味を言われることが辛かった。
成績優秀者になって学費免除になることを目指していたが、当時は、学年で1人しか学費免除にはなれず、5つある学科のすべてで成績トップになる必要があった。
わたしは自分が所属する学科の成績トップにはなれたが、5つの学科すべてのトップにはなれず、遂に学費免除になることはなく卒業した。
そのことについても、
「成績優秀者になって学費免除になるって言ったくせに、結局なれないし」
みたいなことを親から言われ、落ちこんだ。
学科で大学4年間成績トップになってもなお、みじめな気持ちしか抱けずに終わったのだ。
家庭の事情により大学進学をあきらめざるを得ない人や、苦労して大学に進学して学んでいる人がたくさんいることを知った今となっては、
どんなに嫌味は言っても、
実家での生活を保護した上で、多額の学費を払い、大学を卒業させてくれた親には感謝だ。
当時の自分は、ただのわがままな甘えん坊だったと反省しかない。
ただ、
こうした親の過保護と過干渉が、
本来ならもっと別の拡がりかたもできた自分の人生を変えてしまったんじゃないかという思いも拭えないのだった。