幼いころは、「父の支配」をあたりまえのことだと思っていたと思う。
親とはこういうものだと思って育っていたから。
わたしは洋服を選ぶときでさえ、親の顔色をうかがうような子どもだった。
「これがほしい!」
と言っても、
「それは、ちょっとねえ、、」
と親に言われれば、
自分の主張を引っ込めた。
そう。
父だけでなく、母も、子を支配するタイプだった。
母自身も、そんな親から育てられた。
母方の祖父母のことは、そう多くは知らないのだが、
母は、高校入学のために下宿することに決まっていたが、祖父が突然「やっぱり下宿なんてダメだ!」と言い出し、入試直前で自宅から通える学校に進路変更したという話を聞いたことがある。
門限もとても厳しかったらしい。
だから、母も、親が子を支配するのは当然のことだと思っていたふしがある。
わたしの両親にとって、子は自分の所有物だった。
そして、幼いわたしは、親に飼い慣らされたペットだった。
そんなわたしに「自我」が芽生えたのは、思春期を迎えたころだ。
人間の成長過程において、自然な流れである。
だけど、すっかり親に飼い慣らされたわたしは、その檻から逃げ出すすべがわからなかった。
檻から出たい、という願望を持ちつつ、
檻の中でもがく長い年月が続いたのだった。