わたしは、恋人から束縛されることが多かった。

 

恋人以外の男性と話したりすることはもちろん嫌がられたし、

女ともだちと出かけることも良い顔をされなかった。

 

バイト先や勤め先も、恋人のようすを伺いながら選んできた。

 

何度も繰り返されたそのパターンを、

当時は「なぜか同じ目に遭う」としか思っていなかったけれど、

今になって、それを繰り返してきた理由がわかった。

 

わたしの父は、子離れができていなかった。

そして、自分が気に食わないことが起こると、わかりやすいくらい機嫌が悪くなった。

 

そんな父親の機嫌を伺いながら生きる癖が、わたしにはついていた。

 

まさに、父親自体が「束縛タイプ」だったのだ。

 

わたしはそんな父親から逃れたくて恋人たちと過ごしてきたが、

結局は、父親とおなじことを恋人たちからもされてきた。

 

「束縛されること」は、当時のわたしにとっては「愛されること」と同じ感覚だったのだと思う。

 

だから、息苦しさを感じつつも、それを受け入れてきた。

というか、その状況を潜在意識は無意識に望んでいたのだろう。

 

縛っていたのは、結局、自分自身だったのだと、今はわかる。

 

たとえ不機嫌な顔をされようと、

わたしには、わたしがやりたいようにやる自由があった。

 

しかし、わたしは、自らの選択で、それをしなかった。

 

自分の望みよりも、相手が不機嫌にならないことのほうを、わたしは優先してきた。

 

わたしはずっと自分は「飛べない鳥」と思いこんできたが、

実際はただの「飛ばない鳥」だった。

 

「束縛」は、自分の意識の問題だ。

 

そのことに気づき、自らを解き放つことで、

わたしは自由を手に入れることができた。

 

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