わたしは、恋人から束縛されることが多かった。
恋人以外の男性と話したりすることはもちろん嫌がられたし、
女ともだちと出かけることも良い顔をされなかった。
バイト先や勤め先も、恋人のようすを伺いながら選んできた。
何度も繰り返されたそのパターンを、
当時は「なぜか同じ目に遭う」としか思っていなかったけれど、
今になって、それを繰り返してきた理由がわかった。
わたしの父は、子離れができていなかった。
そして、自分が気に食わないことが起こると、わかりやすいくらい機嫌が悪くなった。
そんな父親の機嫌を伺いながら生きる癖が、わたしにはついていた。
まさに、父親自体が「束縛タイプ」だったのだ。
わたしはそんな父親から逃れたくて恋人たちと過ごしてきたが、
結局は、父親とおなじことを恋人たちからもされてきた。
「束縛されること」は、当時のわたしにとっては「愛されること」と同じ感覚だったのだと思う。
だから、息苦しさを感じつつも、それを受け入れてきた。
というか、その状況を潜在意識は無意識に望んでいたのだろう。
縛っていたのは、結局、自分自身だったのだと、今はわかる。
たとえ不機嫌な顔をされようと、
わたしには、わたしがやりたいようにやる自由があった。
しかし、わたしは、自らの選択で、それをしなかった。
自分の望みよりも、相手が不機嫌にならないことのほうを、わたしは優先してきた。
わたしはずっと自分は「飛べない鳥」と思いこんできたが、
実際はただの「飛ばない鳥」だった。
「束縛」は、自分の意識の問題だ。
そのことに気づき、自らを解き放つことで、
わたしは自由を手に入れることができた。
<次の記事 L25 ネット恋愛と幻想
>前の記事 L23 厳しい道のりの先
記事一覧 わたしの恋愛シリーズIndex