父のことをブログに書こうと決めて

だけどなかなか書き進められずにいた

 

昨日そのことを思い出す機会があり

ブログの下書きを振り返ったら

最初に書こうと思ったのは11月8日だったみたい

 

その下書きに加筆修正したのが昨日アップしたこちらの記事

↓↓↓

勘違いは卒業

 

そして、次に浮かんできたのが、

さっきアップした父母のパートナーシップの話だった

↓↓↓

父母のパートナーシップと自分

 

 

思い浮かんできた順に書き綴るのが私流

 

だけど、すべての流れには意味がある

 

 

【父母の仲が悪いことが、ずっと悩みの種だった】

と書いたけど、

 

私が見たくなかったものは

「男が女をいじめる姿」

なんだと感じた

 

しかもそれを

「大好きな父=一番信頼している男性」

がしている

 

それは、受け入れ難い事実だ

 

父親だって、一人の人間だ

 

弱さだってあって当然

 

だけど、私はそのことを認めたくないのかもしれない

 

「男は女をどんなときでも守るべき」

 

「男は女にどんなときでも優しくあるべき」

 

私は父に、そんな「理想の男性像」を勝手に「期待」し、

その「期待」を裏切られたことに失望しているだけなのかもしれない

 

 

そして、

そんな「期待」を裏切る行為をしているのは、

父ではなく自分自身なんだろう

 

私は私の中で

自分の女性性をずっと虐げてきたような気がする

 

 

こんなふうに書き綴りながらふと思う

 

父母のパートナーシップに対する期待は

男性性と女性性の協働という私自身の理想に対する期待の投影ではないか

 

その協働は

双方の弱さを受け入れた先でしかなし得ない

 

しかし

私の中には弱さを否定する思いがまだあるということを

父に対するモヤモヤは教えてくれていたんだね