父母の仲が悪いことが、ずっと悩みの種だった

 

今、振り返ると、二人はずっと仲が悪かったわけではない

 

子どもの頃の記憶では、普通の仲の良い夫婦だった

 

 

いつからなんだろう、、

 

もしかしたら、母が病気になった頃からなのかもしれない

 

 

「なぜ、二人で仲良く暮らしてくれないんだろう」

 

いつの頃からか、私の親に対する悩みはいつもここにたどりつく

 

父母の関係は、私や妹という「子」の存在によって、なんとか守られている、と感じてきた

 

もしかしたら、それだって「子」(私や妹)の勝手な思いこみに過ぎないんだろう

 

ただ、私たち姉妹は、ずっとこの思いに縛られてきた

 

罵り合ったり、いがみ合っている二人を、なだめるのが娘たちの役目

に、いつしかなっていた

 

実家を出たいと思っても、

「この二人を二人きりにして大丈夫だろうか」という思いがよぎる

 

私はそんな不安を振り切って実家を出たが、

妹は今も実家で父母と暮らしている

 

なかなか実家を出ることができない妹に対する罪悪感も持っている

 

「それもこれも、父母の夫婦仲が良ければ抱かなくてよかった罪悪感なのに」

という思い(思いこみ)も、ずっとずっと握りしめている

 

 

思い返せば、父方の祖父母もそんな感じだった

 

祖父母の家に遊びに行くと、祖父母はよく喧嘩していた

 

【喧嘩するほど仲がいい】と周りは言ったが、

私はそんな様子を見るたび心が痛んだ

 

祖父が亡くなってからは、「これで自由だ」と自由を謳歌していた祖母

 

私のパートナーシップのモデルは、いつもそんな感じだ

 

私自身も、高校から大学時代にかけて4年間つきあった恋人とは、とにかく喧嘩ばかりしていた

 

その後の恋人たちとは、どうだったかしら

 

あまり覚えてないけど、たまには喧嘩もするっていう程度だった気がする

 

そして、結婚相手とは、ほとんど喧嘩をしたことがなかった

 

喧嘩はしたことがないけど、離婚した

 

パートナーシップというのは、目に見える世界だけで推しはかれるものではないことを、身をもって知った出来事なのかもしれない

 

 

若いころは、自分の意見を主張して、相手を「変えたい」と思っていた

 

しかし、相手を「変える」ことなどできないから、争うことで消耗していた

 

結婚生活では、相手を「変える」ことはあきらめていたから、最初から戦わなかったけど、

 

根底にはずっと、相手を「変えたい」気持ちを握りしめていた

 

結局おなじことだったんだなあ

 

 

父母のパートナーシップに対する不満を書こうとしていたら、

自分自身のパートナーシップに立ち帰ってしまったよ、笑

 

 

そりゃそうか

 

全部つながってるんだもんね

 

 

おなじ仙台市内に住んでいるのに足が遠のいている実家

 

父母の仲の悪さを目にするのが嫌で、行くことを避けてきた私がいるけど、

そろそろ遊びに行こうかな

 

私自身のパートナーシップが変わったら

私の目に映る世界も変わるんだろう