「たすけたい」という依存 (2018年8月14日)

 

「たすけたい依存」の前提心理 (2018年8月16日)

 

の記事で、「たすけたい依存」について書きました。

 

 

「わたしもたすけたい依存でした」

「わたしもたすけたい依存かもしれない」

というコメントをたくさんいただき、

わたしが書いた記事に出会えてよかったとよろこんでくださった方もいらっしゃって、うれしいかぎりです。

 

 

今日たまたま読んだブログに、

 

私は、依存と言う言葉が嫌いです。

 

と書いてあり、

 

その理由が、

 

「依存」と診断されるほどに、苦しさが加速するから

 

と書いてあるのを読み、

わたしが書いた記事が、だれかの苦しみを加速させてしまう可能性を知り、この記事を書いています。

 

 

実はわたしも「依存」という言葉が嫌いなんです。

大嫌いといっても過言ではないかもしれません。

 

わたしは、自称「超自立系女子」。笑

 

過去の親子関係の中で、「依存」していることに苦しみを感じ、もしくは、「依存」をあきらめざるを得ないことに苦しみを感じ、その苦しみから逃れたいがために、「超自立」の道を歩んでいる、と、わたしは自己分析しています。

 

だから、自分がなにかに「依存」していると思うと、そこから抜け出したくなってしまう。

抜け出さなければならないと思ってしまう。

 

これまで、わたしがそうした状態から「抜け出す」ときのやりかたは、「依存」を絶ち、一気に「自立」に向かうという方法でした。

 

人生でこれを何度も何度もくりかえしてきたから、こんなりっぱな「超自立系女子」に育ったわけです。笑
 
 
今、わたし自身も、「たすけたい依存」を抜け出そうとしているところですが、
実は今回は、すこしいつもとはちがう方法を試してみようかな、って思っているんです。
 
 
これまで何度も何度も同じことをくりかえして、ぐるぐるまわってきたけれど、
それでも少しずつ「らせん状」に成長してきてはいるのですが、
もうちょっと、グーンって成長できる方法はないのかなって前から思っていて、
いつもとちがう「結果」を得てみたいので、いつもとちがう「行動」をしてみたいなあって考えています。
 
 
 
「依存」は、「悪」ではないんです。
 
 
「自立」も「依存」も、どちらも「必要」なんです。
 
 
苦しいと感じてしまうのは、「バランスが悪くなっているから」だけなんです。
 
 
わたしの今までのやり方は、
 
「依存」に偏ってきていることに気づくと、
「依存」を全面的に絶ち、
一気に「自立」に向かう
 
というものでした。
 
 
だけど、そうすると今度は「自立」に偏ってしまいますよね。
 
 
だから、またバランスを崩して、苦しくなるんです。
 
 
そして、また「依存」に傾いていく。
 
「依存」が嫌いだから、「隠れ依存」ってかたちでね。笑
 
 
『無理なダイエット』と一緒だなあって気づきました。
 
 
どうりで、効率悪いよなって。
 
 
だから、今回は、
「依存」を絶ってしまえ!
ってやるんじゃなくて、
 
「依存」に偏りすぎている状態を、「バランスが良い」状態に整えていくようなやり方にしたいんですよね。
 
 
まだ、そのやり方を見つけてはいないんですが、
 
でも、
わたしの意識が、
 
「依存」は、「悪」ではない
苦しいのは「バランスが悪い」だけ
 
と書き換わったから、
 
きっと、やり方を見つけられると思っています。
 
 
もうひとつ思っているのがね、
「たすけたい依存」になるくらい、「たすけたい」気持ちが強い人って、
「人をたすける」という才能にあふれている人なんですよ。
 
これって、素晴らしい才能ですよね。
 
自分にそんな才能があるって、うれしくないですか?誇らしくないですか?
 
そして、「人をたすける力」もすでにあるんです。
 
「力の使い方」が、うまくいっていないだけなんです。
 
上手に力を発揮したら、素晴らしい社会貢献ができます!
それこそ、「人をたすける」才能があるわたしたちの、最大の望みですよね。
 
 
「わたしがいないと」ってなってしまうのではなく、
「あなたならできる!だいじょうぶ!」って応援する人になれたら、
うまく力を発揮できるんじゃないかなって、わたしは思っています。
 
 
「たすけたい依存」かもしれない(もしくは、「たすけたい依存」だった)と、わたしの記事に共感してくださったみなさま、
一緒に「たすけたい依存」の『才能開発』しませんか?