自分の家族も、親や親せきも、みんなの無事が確認された。

1~2週間ほどは、自分たちが生きるために必死だった。

食糧や水やガソリンを調達するために、日々家族で協力しながら生きていた。

 

すこし落ち着いてきたところで、「働きたい」という思いがふつふつと湧き上がってきた。

 

自分も家族も命が無事で、わたしはからだも健康だ。

そんな自分が何もしないでいるなんて歯がゆかった。

 

あちこちで崩れている建物があるというのに、長年建築に携わってきていながら何もできない自分が悔しかった。

 

「働きたい」

「わたしにはまだ建築でやるべきことがある」

 

地震の2日前に面接を受けた多賀城の職業訓練校は、津波により数日間孤立していた。

ニュースでそのことを知ったとき、背筋が凍った。

数日ずれていたら、わたしもそこにいたかもしれない。

電話をすると、いつ訓練が再開できるかも未定のため、そのとき受けた面接は無効になるという話だった。

 

派遣会社に電話をし、地震前に紹介された「地元の国立大学」での仕事について聞いてみた。

 

地震により今とても多忙な状況にあり、働ける人がいるならすぐにでも来てほしいと言われているという。

 

わたしは「働けます!働かせてください!」とお返事した。

 

(次回へつづく)

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