『わたしの就職』シリーズ
大手ハウスメーカーでの派遣社員も楽しかったが、母が病気で倒れ手術や入院が必要となったことを理由に、10ヶ月で契約期間を終了。
と前回書いたものの、ほんとうの理由はもっとちがうところにあったと思う。
だいぶ前のことなので、はっきりとはおぼえていないのだけれど、当時のわたしは「正社員」として就職し、親から認められたいという思いが強かったから、仕事がどんなにおもしろくても「派遣社員」では満足できなかった。
正社員として採用されている人と派遣社員の自分とのあいだにものすごく格差があるように感じて、いつも比較しては落ち込んでいた気がする。
「CADオペさん」と呼ばれることにも抵抗があり、「わたしはほんとうは技術者になりたいのに!」と悔しく感じていた。
「設計」と名乗って仕事をしている人たちがとても輝いているように見えた。
あるとき営業の男性に「一級建築士の資格取得に挑戦したい」と話したら、「女の人がそんな資格取ってどうするの?」と言われショックを受けたこともあった。
その男性は20代後半から30代前半くらいの人だったと思うのだけど、年上とはいえそんなに年も離れていない人がそういう発言をすることが衝撃だった。
女性にだけ「お茶当番」があって、社員全員のマグカップを洗ったりするという慣習も、なんだかなあと思っていた。
男女格差はかなり感じる職場で、そんなところも、これ以上この会社で働かなくてもいいかなあと思う要因となった気がする。
制服好きで、かわいい制服を着られてよろこんでいたわりにはなんだけど、女性社員だけ制服着用というのも、よく考えたらへんだよね。
設計も女性は制服着用だった。
そういえばインテリアコーディネーターの人は制服じゃなかった。
あの差は一体なんだったんだろう?
うまれてはじめて大きな組織で働いてみて、肌で感じたモヤモヤがあり、わたしの中には「やっぱりわたしは建築技術者になりたい」という強い思いが湧いてきていた。
今思えばそれは「建築技術者となり、男性と対等に働きたい」という思いだったのかもしれないなあ。
ちょうどそのころ、おつきあいしていた恋人が茨城県つくば市に転勤することになり、わたしは実家を離れ、彼について茨城県つくば市へ行くことにした。
手術を終えたばかりの母に、「こんなときになんだけど、わたしは家を出たい。」と伝え、母からは「好きにしていいよ」と言われた。父からは「こんなときに、裏切るのか。」と言われた。
そんな両親の姿にうしろ髪を引かれつつも、わたしはうまれてはじめて実家を出ることにした。
24歳くらいのときのこと。
もしかしたら、このとき、わたしは人生のひとつの転換期にいたのかもしれないね。
(次回へつづく)
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