こんにちは。

 

いつもご訪問くださり

 

ありがとうございます。

 

弘前は、野山も庭も雪が降り積もっていますが、

 

それでも、真冬の雪とは違う春めいたやわらかな雪です。

 

 

 

 

 

 

 

さて今回は

 

澁柿園2月号(第594号)より

 

小野いるまさんの『俳人の詠んだあおもり』 の17回目 をお届けします。

 

 いるまさんの以下の3冊の著書から、月1回の割で、澁柿園の俳人を中心にご紹介しています。

 

『俳人の詠んだあおもり』   (2008年 北方新社)

『続俳人の詠んだあおもり』  (2009年 北方新社)

『俳人の詠んだあおもり第3集』(2010年 北方新社)

 

また現役俳人でもいらっしゃるので1句ご紹介。

 

     今月の一句

 

             一生は一幕芝居春おぼろ    小野いるま

                    (県句集第28集より)

  

 

 

チューリップ赤チューリップオレンジチューリップピンクチューリップ黄チューリップ紫

 

 

 

小野いるまの

    

   俳人の詠んだあおもり⑰ 

 

 

     舘田 五葉 (たてだ ごよう) 

       

     陸 羯南 (くが かつなん)  の研究に全力  

 

 

 

 舘田五葉(本名勝弘)は「陸羯南会」の会長をやっている。もともと青森県郷土作家研究会の熱心なメンバーで、現在は代表理事をつとめるだけに、郷土作家への造詣は深い。数ある郷土作家の中から、今度は陸羯南だけを抜き出し、研究しようという会だから、忙しさが倍加したのは当然だろう。

 

 羯南会は、春と秋の二回、弘前で勉強会を開く。今年の春季大会は六月、弘前市立図書館で秋田看護大の北原かな子教授の「津軽の文明開花を考える」と題する講演を聞いた。八月七日には、羯南書簡を翻刻紹介している筑波大大学院の中野目徹教授を招き、「陸羯南研究の動向」を話してもらった。 「名山名士をす」の書き出しで始まる羯南の漢詩は、掛け軸になって、弘前養生会に保存されているが、この掛け軸は今、松山市の「坂の上の雲ミュージアム」 へ貸し出され、来年二月まで企画展を開催中。五葉ら一行は六月二十五、六の両日松山を訪ね、企画展を見学するとともに、ゆかりの人たちと交流を持った。そんなこんなで五葉の羯南研究は超多忙。 俳句の実作に向ける時間はなかなか取れないらしい。

 

 五葉は高校の国語教師を長いこと勤め、平成十八年に弘前中央高校長で定年退職した。俳句を始めたのは昭和五十年ごろ。五所川原高鶴田分校(現鶴田高)で職場が一緒だった加藤凍星に勧められ「渋柿園」に参加。当時の斉藤日出於代表宅での新年句会にも何度か顔を出したという。

 

 郷土作家研究をやっていた関係で、昭和五十三年二月号から「渋柿園」に「青森県俳句史折り折り」を連載。ここでは青森市出身の岩谷山梔子(くちなし)の生涯を年譜で追いかけた。前後して郷土作家研究会の機関誌には、野辺地町出身の中村泰山(たいざん)宛に届いた河東碧梧桐(へきごとう)や荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)らの書簡を通じ、草創期の青森県における日本派俳旬の流れを紹介する連載を手がけたりした。

 

 五葉は、五十代前半から「渋柿園」に名をつらねたが、どちらかといえば作家研究などに軸足を置いた文章で存在感を示し、実作の方は正直のところ、あまり熱心ではなかったようだ。 「青森県俳句史折り折り」も、連載三十回を数えた時点でなぜか中断してしまう。職場句会に熱心だったのは弘前中央高時代。昭和五十六年、田中十四郎(とうしろう)が同校へ赴任したのを機に「おうよう句会」を立ち上げ、小田桐耕風、相馬佗助、川口水歩、尾崎半空らと句作に取り組んだ。

 

凶作の歴史しみたる地は小雪

 

靴底に桜花びらつけしまま  

 

 同六十二年、黒石高へ異動したのを機に、休止していた黒高句会を再開。 藤田枕流を中心に岩田秀夫、菊池孤雲らとこれまた楽しい句会を続けた。五葉はその後、青森県近代文学館室長へ転出、 開設準備から基礎作りまで取り組んだ。再び現場へ戻ったが、八戸中央高時代は、俳句とはまったく無縁の生活。鯵ヶ沢高へ転勤して久しぶりにおうよう、黒高句会へ出席。弘前中央高の校長で退職したあと「渋柿園」への投句を本格的に再開した。現在は渋柿園、おうよう句会、黒高句会のほか、昨年スタートした高森ましら指導の三九俳句会(高校同期会をメンバーとする小規模句会)の四つに名をつらねている。

 

しばれ来てホームの別れ

 

 薫風同人の村山いう(青森)は、この句を「しばれという言葉で寒さの程度がまず伝わる。着ぶくれた人たちが、足元に気を配りながらホームを行き交う。名残を惜しむ人たちの気持ちもまた滞るのだろうか。 北国の駅の様子をみごとに切り取った句である」と鑑賞している。「渋柿園」から近作をもう三句。

 

夏帽を深くかぶりて女行く

 

オリンピックコーチ首巻二重巻き

 

雪を掻く昨日の思案そのままに

         (『俳人の詠んだあおもり第3集』2010年刊・北方新社)

 

 

五葉さんの関連記事

 

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桜  桜  桜

 

《八戸えんぶり③終章 お庭えんぶり》

 

(前回の続き)

 

800年ほど前から行われてきたという伝統芸能「えんぶり」。

 

えんぶりとは、もともと土をかきならしたりする農具だそう。

 

 

 

 

たかんな俳句会の方と合わせて9人、昼食は

 

八食センターの市場寿司へ。

 

駐車場はほぼ満杯。すごい人出である。

 

 

 

それでも案内人の岩村多加雄さんがすばやく動いてくださったおかげで、

 

すんなり回転ずしの席に座ることができた。八戸市は海の町。

 

美味しくないわけがない。私たちはたらふく海のものをいただいた。

 

そのあと八食センター内を少し歩き、鶴子饅頭を買った。

 

 

 

 

更上閣に着いたのは午後5時前、まだ外は明るかった。

 

更上閣(こうじょうかく)は、明治時代から大正時代にかけて建築された邸宅で、

主屋及び門が国の登録有形文化財に登録されている。

今は毎年2月に 座敷から八戸せんべい汁と甘酒を飲食しながら、

大旦那様の気分でお庭えんぶりを鑑賞することができる。

 

  ドウサイえんぶり

  烏帽子に五彩の細長い房がさがり、激しい動きを引き立てる。

 

八戸せんべい汁はとてもボリュームがあり冷え切った身体を温めてくれた。

 

 

   ナガえんぶり

     真ん中の烏帽子には赤い牡丹が付いている。ゆったりリズムで踊る。

 

いつの間にかすっかり夜の帳がおりていた。

 

かがり火が余韻に浸りながらの

帰路の道筋を照らしてくれた。

 

 

ブログ友 mjt-5933さんの「えんぶり」回文がすばらしい!

ありがとうございます。

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えんぶりの果てて月光ばかりなり   櫂 未知子

 

庭えぶり果てて畳に雪残す      林  誠司

 

庭えぶり星をよすがに果てにけり   小野寺和子

 

朳果つお囃子いまだ身の内に     吉田千嘉子

 

見尽くせぬ思ひ残して朳終ふ     藤木 俱子

               

                                 『 えんぶり彩時記』(たかんな刊)より

 

 

初めてのえんぶりを堪能させていただいた。

 

「たかんな」の千嘉子さん、岩村さん、福岡、東京、富良野などからいらした

たかんなの皆さん、ご同行ご案内ありがとうございました。