自己受容とは、
短所や欠点を含めたどんな自分でも、

まあ、いい。一応OK

と認めることです。

自己受容が深まると、
自分で自分を十分に認めているので、
他者から認められる必要があまりなくなります。

もちろん、人間なので、、
褒められたり、感謝されたら、
うれしいしラブラブ

けなされたり、必要とされないと、
残念汗
という気持ちにはなります。

ただ、その影響をあまり受けなくなります。


仮に、数字に例えるとすれば、

自己受容の進んだ人は、
完璧を求めないので
100点なんて目指しません。
だいたい60点前後でまあOKだと感じています。

もし60点のうち、
自分で自分を10点だと思っていると、
残りの50点を他者からもらわないと満足できません。

「すごいね!」「さすがだね!」
「頑張ってるね!」
「尊敬する」
「○○さんのおかげで」

そう言われたくて、
言ってほしくて頑張ります。

自分で自分をすでに60点以上だと思っていると、
他者からの点数(評価)はあってもなくても、
どっちでもいい、ということになります。

他者からの評価は、
まるで満足した食事の後の
一口のおいしいデザートみたいなものです。

十分にお腹はいっぱいなので、
デザートはあってもなくても良いのだけど、
まあ、あればあったでうれしい。
なくても満足には変わりない。
そこに欠乏感はありません。

もし食事に満足できず、
まだ空腹感でいっぱいなら、
デザートに期待します。
一口なんて全然足りない、
もっともっとたくさん食べたい!
足りないという欠乏感でいっぱい。

その欠乏感を埋めようと、
もっと頑張り、もっと収入を増やし、
もっと、もっと、と行動します。

自己受容が進むと、
今の自分でまあ満足。

特に目立つ必要もないし、
頑張りをアピールする必要もなくなります。

今以上に人とつながる必要もないので、
SNSなどもやらないか、
やってもごくたまに。

心理学、成功哲学etc、必要なし。

目標を掲げたり、
理想を語ったり、
必要なし。

だって現状まあ幸せだから。
もっともっとと思わないから。

そういう人は、他の人から見ると
平凡な、特に特徴のない人にしか
見えないかもしれませんね。

でも、心の中の幸福感は、
特別な、目立つ人より高いかもしれません。

悟った人は凡人の中にいるのだと思います。

もし、ご自分の人生を
「目立たないごく普通の人生」だと感じていて、
それでいいのかな?と思っているなら。。

そのままで大丈夫です。
自信を持って、
普通で目立たない人生の中にある幸福を
たっぷりと味わってください。

そして、もし、
「他者からの評価がほしくてたまらない」
と感じているとしたら、、

他者からの評価を得るためにいくら頑張っても、
その延長上に、心の平安はありません。

(一時的な、達成感や快楽はあるでしょうが)

アドラーのいう
「普通であることの勇気」

普通である自分を認めてみてくださいニコニコ