たとえば。。。

今、何かの病気だとします。
どこかが痛かったり、苦しかったりetc
仕事や家事が出来ず、
人の役に立てないだけでなく、迷惑をかけている自分。

まわりを見ると、みんな充実していて、
それに比べて、、、私は。。。と、
どんどん落ち込んでいきます。

そういう時にこう考えるのです

家族やまわりの人の病気を、私が今、引き受けている

私のおかげで、家族は健康でいられる。
私のおかげで、まわりは充実した生活を送っている。

ああ、私って役に立ってる
なんて役に立っているんだろう!!

「役に立っている」という思いは、「貢献感」と言います。
「貢献感」を感じると人は「幸福感」を感じるのです。

ここで大事なことを一つ。

「貢献感」は、役に立っているという「思い」であって、
実際に役に立っているかどうかは関係ないのです。

もし、貢献が具体的な行動を指すのなら、
何かの事情で身体が動かない人は、
貢献ゼロってことになってしまいますよね。

「思い」は自分の自由にできます。
だから、どんな状況にあっても、一瞬で幸福は感じられる。

そんなのは詭弁だと。
「思うだけじゃダメでしょ?実際に行動にうつさなくっちゃ」
という気持ちになると思います。


ところが不思議なことに、

「私は役に立つ人間だ」と思っていると、
自然と役に立つ行動をするようになるんですね。

おそらく、私たちは無意識的に
「自己イメージ」にあった行動を選択するのだと思います。

結果として、「役に立つ」行動が増えます。
そのことで、「私は役に立つ人間だ」
という思いも強化されていきます。

最初の「思い」(勘違いでもいい)から、
現実がつくられるのです。

幸福感を感じることで、病気だって治りやすくなります。
治癒力は幸せな方が働きやすそうでしょう?

そうはいっても、そんな風には思えない

というご意見もよくわかります。

「思い」は自由なので、
役に立っていると「思う」、「思わない」
どちらでも選べます。

「思えない」んじゃなくって。。
「思わない」を選んでいるのです。

「思うわけにはいかない」のです。
だって、今まで自分の時間や何かを犠牲にして、
役に立とうと(評価を得ようと)頑張ってきたのだから。
「思う」だけでいいなんて。
そんなこと認めるわけにはいかない、
というのはよくわかります。

今、何かの事情で不幸な方は、
「世界中の不幸を私が引き受けているんだわ」
とうっとりしてみてください。
それで、少し笑える余裕ができるといいですねラブラブ