7.23 岡山から、長崎を想う。 | ~風の紙芝居師~たけちゃん☆ のブログ

7.23 岡山から、長崎を想う。

昭和57年7月23日 長崎大水害
あのとき、オイは 小学5年生でした。
父が、次の日やっと帰宅したとき、家族みんなで安心したなぁ。。。
車は流され、倉庫の商品も大打撃で、家族、親戚で力を合わせて、水も断水して、今日みたいに暑い中、片付けの毎日だったのをよく覚えています。

きっと、あの頃、全国からたくさんの支援の手があったけん、長崎の人たちも立ち直れたんやと想います。

オイが今住んでいる町が、先日の豪雨で大変な状況に置かれていて、
地元の友だちや、郊外の友だち、県外の友だちも駆けつけてくれて、
支援の手があまり入っていない、高齢化した集落に毎日行ってお手伝いをしています。

膝の関節がないオイは、
その代わりになって、身体を張ってくれそうな屈強な男性チームを、ボラセン(ボランティアセンター)にリクエストしています。
(ボラセンに毎日顔を出し、職員の方にも顔を覚えてもらって、信頼関係を築きつつあるので、とても有難いお役目です。)

ニーズ調査や、作業の振り分け、必要物資を運ぶこと... などなど、最前線の中でも、あまり泥にまみれぬ立ち位置なんだけど、
一日一度は、泥にまみれるようにしています。

鶏糞堆肥まみれで、体中ウンチの匂いに包まれた日もあるし、
昨日は、廃油まみれになって、オイルの匂いに包まれました。さすがにこれは着替えたけどね^。^;

受けた恩は、なかなか返せんけど、
恩を送ることはできる。

人間嫌いなオイですが、
毎日、色んな人に助けてもらっています。

来たくても、来れない人もいっぱい居るんだということも、
しっかり届いています。

その人の分も、今日も頑張るけんね^^

沢山の繋がりが心から有難いです。

今日もおかやまは、よう晴れてます。

あの豪雨のあと、長崎もずっと暑い日が続いて、
断水が何日も続いていました。
小学生やったオイは、わき水集めて、掃除に使う水を運ぶ手伝いをしてました。

岡山のチビッコたちも、
やっぱり同じように、頑張っとります。

応援よろしくお願いします。