Hallo!
こんにちは、家族でドイツ移住しちゃった空色(そら)です。
いよいよ出発の日
出発前に息子(弟)が卒園したばかりの幼稚園に寄り、本来なら7月にある予定の同窓会でもらうはずの記念品を前倒しで頂いた。
弟(姉の元担任でもある)の大好きな大好きな可愛い先生2人とお別れのハグ
園の外にはお友達も見送りに来てくれてた。
みんな寒い中見送りに来てくれてありがとう!
お友達になってくれてありがとう!
涙を滲ませながら別れを告げ、いよいよ成田空港へ向かう。
京都から夫の母が荷物や子供たちのために駆けつけてくれ、途中で合流。
子供たちが少しでも楽な旅になるように念入りに調べた成田行きのルートを辿り、予定通りに成田空港着。
成田は閑散としていて、本当に非常事態なんだなと実感。
子供たちはスーツケースで遊んでいたけど、注意されるはずもない。
誰もいないんだから…
ドイツが渡航制限をかけるんじゃないかとヒヤヒヤしながらチェックイン。
カウンターのお姉さんに聞いてみたけど、今のところそんな情報は入っていませんだって!
よし!行けるぞ!!
夫がユーロに換金中にお義母さんから謝られた。
こんな苦労をさせて悪いねと。
……いやいや、えっと、ごめんなさい
私がドイツに行こう?って言ったんです!
最終的に判断したのは夫さんですけど、私が諸悪の根源なんです
とは言えず、夫婦で決めたことですから
と…どの口が言うてんねん!!
申し訳なさを隠しつつ、お義母さんとお別れ。
予定よりもチェックインで時間がかかり、急いでゲートをくぐって飛行機に乗る前にシャワー。
狭いシャワー室で子供と入るのは至難の業。
それでも、サッパリ(実際はびしょびしょ)してから乗る飛行機はいいよね。
夜便だし。
飛行機に乗ってから、何故か弟が咳を始める。
おそらく機内のホコリまたは緊張で気管が狭くなったか。
乗務員さんが来て、熱はないか?とか咳はいつからか?とか聞かれた
検疫っぽい人たちも来て同じ質問。
熱は平熱、咳もさっきまでしてなかったから多分ホコリだと思うと答えたら、OK何かあったら教えてねと言われて何とか降ろされずに済んだ
飛んでる間も時々大丈夫?と聞かれながら、トランジットのトルコへ。
そこそこ人がいたけど、やっぱり平常時よりかなり少なかったと思う。
いよいよ、ドイツへ!
そこでも何も言われず、普通に飛行機に乗れたので、もうすぐで着くねとワクワクドキドキ
2020年3月18日午前10時頃
ドイツ、フランクフルトに到着
ドキドキしながら飛行機を降りたら、連邦警察の人達が入口前に立っていて、呼び止められてパスポートを見せろと言われ、そのまま連れて行かれた
こちらの警察官デカいし、ガタイいいし、めちゃ怖い
警官が待つ窓口でコロナで封鎖されたから帰れ!言われた。
夫と雇用契約書や何やらを見せて説明するも、こんなのは嘘、偽物だからさっさと帰れ!しか言わないおっちゃん警官。
オーナーに電話をして代わりに説明してもらった。
どうやら、18日の9時頃から封鎖が始まったらしい。
私たちよりも3時間ぐらい早く到着した例の夫婦は入国出来たらしい。
本来なら17日の夜に日本を出国してるから、入国可能なはずだけど、封鎖開始から間もないこともあって職員たちも状況を把握し切れておらず、パニック状態。
オーナーのツテで、住む予定の街の市長さんや連邦警察の上層部に掛け合ったりしている間の約6時間、食べ物もない場所で待機。
子供たちも疲労困憊する中、ようやく出た答えは入国制限による入国拒否、強制送還。
夫は頭の中が真っ白になり、若い男性警官が分かるようにゆっくり英語で説明してくれているにも関わらず、使いものにならないぐらい思考停止。
子供を守る私は逆にフル回転。
まず、トランジットエリアの許可証を出すからご飯を食べて18時半には戻ってきてと言われたのが16時半過ぎ。
その間に日本に帰る飛行機を探しておくからと。
最初のおっちゃん警官は日本でも経由地のトルコでもどこでもいいからドイツから出ていけ!と怒鳴り散らしてた奴からすれば数百倍マシな対応。
(トルコも封鎖されたから入れないっつーの)
小さな子供もいて家もないって聞いたけど、上からダメって言われちゃったからどうすることも出来ないんだ、申し訳ないねって言ってくれたから。
なんなら、どこかの国のおばちゃんが何で?何で?と叫んで抵抗してたら、荷物を投げられて蹴られて引きずられるようにして強制送還されていったの見てるからビクビクだったよ
例の夫婦の旦那にちゃんと抗議しないから入国拒否されたんだ!とか文句言われたけど、コレ目の前で見てて、子供もいるのにそんなこと出来るわけないやんか。
何かあったらどうしてくれんねん
(マジで今思い出してもイラつく)
その後は子供たちが大好きなマックでビッグマックとポテトのセットを頼んで食べた。
日本のよりデカかったわ…。
弟は半分残した…。
お腹いっぱいになった子供たちは帰国用の飛行機を手配してくれてる間に寝てしまった。
若い男女の警官がすぐに飛行機が出るから搭乗口まで案内すると迎えに来たので、子供を抱え、ひたすら早足で歩く。
夫と男性警官が荷物、弟は私が抱っこ、姉は寝たまま女性警官に手を引かれながら歩いてた
(器用やな)
本人は搭乗口の入口までの記憶がないと言っている。
(そりゃそやろな、完全に寝てたもん)
幸いにもJALの直行便、後ろの方、約12時間のフライト。
疲れ果てて機内食も程々に10時間ぐらい寝てた。
(バーガー食べてるからお腹いっぱい)
帰りはあっという間…。
17日の夜に日本を出国して、19日の夕方には日本に帰国
短い旅でしたわ~
しかし、コレじゃ終わらない。
荷物はまだフランクフルト…。
そりゃトンボ帰りやからな…。
荷物の手配をして近くのホテルに泊まって、荷物を待つ間、お店も開いてないし、服がないから子供たちはホテルの大人用パジャマをノーパンで着せてた
荷物を受け取った後は夫の実家がある京都に帰った。
それから再びドイツに行けるようになるまで5ヶ月かかった。
その間にも色々とあったけど、書くのしんどいので、大きなイベント事と追加書類についてだけにしておこう
今回はここまで。
入国制限、入国拒否、強制送還なんて普通じゃ経験出来ないことを経験して、今なら貴重な体験だったねと笑って言えるけど、本当にしんどかった。
到着ロビーでずっと待っていてくれたオーナーさんは電話の向こうで号泣しながら謝ってて、こっちが申し訳なくなった。
オーナーさんが号泣し過ぎてて、こちらは逆に泣けなかったけど(笑)
今回のことで海外向きな子達だと思ってたけど、タフでポジティブな子だと改めて思った。
うちの子はやはりモンスターだと思った日でもある。
Tschüss!